第527回 神戸お話伺いメモ 2011/4/9 [2011年神戸お話伺いメモ]

60代女性,中央区で全壊。親戚が住む東灘区の市営住宅までほとんど1日歩いて向かったが,そこも住めず,その前にテントを張って5人で肩寄せ合って一晩中座っていた。1年後入居した仮設住宅は,冬は大変寒く,夏は格別な暑さの上に虫だらけ。ここで初めて支援物資をもらう。400世帯ほどあったが,自治会長さんがよくできた人だった。この復興住宅に入居12年目。自治会の仕事をしていて,話し好きで,コミュニケーションには困らない。食べていけるだけの年金はあるが,収入の1/3ほどまで家賃が上がることが不安で「家賃を上げないで」と何度も。被災時,水がいちばん不自由だったので,自分がもう少し若かったら,汲みに行けず家にいる人に届けてあげたい。東日本大震災の被災者に「がんばってくださいよ」と。

70代男性,一人暮らし。灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後この復興住宅に入居して12年目。仮設住宅でもコミュニケーションが足りないと感じていたが,この復興住宅に来てから4人もの孤独死を見た。3度も隣近所と引き離されるなど,市の施策の冷たさを感じるが,初めてのことだったので仕方なかったのかも。今この復興住宅にもかなりの空室があるので,東日本大震災の被災者を受け入れてあげてもいいと思いながらも,神戸の時より待遇がいいのではとも。東日本大震災の被災者にはがんばれとしか言えないのだが,原発は人災ですよね…。

女性,一人暮らし。中央区で被災。足腰が痛いとのことで,玄関に出てくるのも時間がかかり立っているのも辛そうだったが,話すうちに表情も明るくなっていった。近所付き合いもうまくいかず,睡眠不足や高血圧で倒れたり,脚を捻挫したりして,食欲もなく,必要な通院も十分できず,最寄りのスーパーで買い物するのがやっと。身の回りのこともできなくなってきたが,他人をうちに入れたり,手伝ってもらったりするのに抵抗感が強い様子。初対面のボランティアとしては,傾聴を通じて,信頼関係を築き,抵抗感をやわらげてもらえれば,訪問した甲斐があろう。

70代女性,80代夫と2人暮らし。中央区で全壊。近くの高校に避難,仮設住宅に4年いた後この復興住宅へ。訪問時ご主人の散髪をしていた。足腰がわるく,右膝は手術の予定。2カ所の病院に通っている。

80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。若い頃は見習い看護婦をしていて,戦中~戦後は満州に。戦後現地で結婚しともに帰国した夫は,この復興住宅で10年前に亡くなった。現在特に身体に悪いところはなく,ほぼ毎日大安亭にお茶を飲みに通っている。時代の流れに逆らわず生活しているとのこと。

80代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。島根県に5年ほどいた後,3~5回の抽選で当たってこの復興住宅へ。胃を全摘出していて少量のそうめんしか食べられない。外出も困難なのに地域の役員を12年続けてきた。玄関先のつぼみを膨らませた鉢植えの話題でなごむ。

40代男性。中央区で全壊。奥さん,不妊治療のおかげでようやっと授かった男女の双子と暮らす。訪問時は,この復興住宅で生まれ育っている子どもの友達が大勢遊びに来ていて賑やかな様子。運送業で夜の仕事だが,休みの前ということでお話し伺いに応じてくださった。被災後被害がなかった垂水区の実家に半年身を寄せてから仮設住宅に移り,この復興住宅へ。今特に困っていることはない。震災時に撮影していたビデオをいとこに貸したらなくされてしまった。子どもに阪神淡路大震災のことを話しても実感がわかないようだ。

(週末ボランティアでは、4月18日~20日の間、仙台から花巻の東日本大震災の被災地をまわり、この震災の被災者との接触のなかで、その活動可能性を見て参ります。)
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