第528回 神戸お話伺いメモ 2011/4/23 [2011年神戸お話伺いメモ]

・60代女性,一人暮らし。一部損壊のため公的支援は受けられず。子どもが成人した後夫と別れた。3年前まで病院に勤めていたが,待遇が悪く,精神的苦痛もあって辞めた。労働条件・待遇は年々悪化している。東日本大震災の被災者には,神戸では津波はなかったが被災した人は我々と同じと思う,としながらも,過剰な支援がかえって働く意欲を削ぐことになるのではとの厳しい見方も。

・80代女性,70代夫と夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所暮らしはあまりせず,宮崎県営住宅を経て西区の仮設住宅で2年ほど過ごす。友人もでき,気が休まった頃にこの復興住宅へ。今は腰痛でままならないが,少し若い頃は,この階下で盆踊りの練習をして神戸まつりに参加していた。同じ仮設住宅にいた者同士でここに入居したかった。4月から家賃が徐々に上がる。ご主人は,訪問時風邪とのことだったが,普段は階下の花の世話を一人でしているとのこと。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で一部損壊。地震のとき,寝ていたところにグーという音がしてだんだん音が大きくなり,2~3分後に縦揺れがきた。背中に本棚が倒れてきて,奥さんに助けられた。芦屋で経営していた雑貨店が入っていたビルが全壊したが,住民票を置いていなかったため義捐金などは出ず。商品などを取り出して仮設店舗で営業した。行政は冷たかった。6年前に仕事を辞めた。人間が信じられなくなり,ストレスから網膜剥離になり,一時は目が見えなくなった。東日本大震災の被災者には,頑張ってとはいえない,人の気持ちと絆を考えて,相手のことを大切にしてほしいと。

・60代男性,一人暮らし。長田区で全壊。近くの小学校がいっぱいだったので須磨区の体育館に避難し,六甲アイランドの仮設住宅へ。震災のストレスで脳梗塞に。7回倒れたが,意識がなくなり全身が動かなくなることも2回あった。少しろれつが回らないので喋りにくい。今は病院が通いの日々。タバコと酒はやめていて,そのおかげで少し不自由ながら生活できている。右手が少し不自由で字が書きにくい。震災後はトレーラーに乗って全国を走っていた。後にタクシー運転手を10年。当時は知らなかったが,この復興住宅に同僚が住んでいて,まだ仕事を続けているようだ。東日本大震災の被災者には,頑張れとよく言うがどうしようもない,頑張れと言えない,と。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。全壊した文化住宅からは自力で脱出した。近所の人を数人助けたが,新聞配達中の人が倒れた家の下敷きになって逃げられず,そのまま焼死したのが忘れられない。娘の知り合いも亡くなった。近くの小学校に避難,現在介護職に就いている娘とともに避難者を世話するボランティアをしていた。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。近所つきあいはほとんどない。この住宅で清掃活動をしていたら「お金をもらっているのでは?」と言われたので辞めた。現在は夫婦で大学の清掃の仕事に行っている。安くていいと,昼食を学食で食べることも。お金に困る,ため息ばかりつく,国民年金だけでは食べていけない。東日本大震災の時は,震度2で,蛍光灯のヒモが揺れたぐらいだが,阪神淡路大震災を思いだしたようだ。

・70代?女性。「ちょっとしんどいので…」と,インターホンで簡単に安否・近況確認。

・「何も話したく有りません。体も健康ではありません。ごくろう様です。」と自ら支援シートに記入。
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