第1回 東日本お話伺いメモ 被災者の声 [2011年東日本お話伺いメモ]

日時:2011年5月21日(土)14:45~16:30
避難所:石巻市立湊小学校

・70代男性、自宅1階水につかり全壊状態。私の家はこの小学校の道路を渡ったところです。強くて長いこんな地震は、はじめての経験でした。2階の瓦が崩れ落ち、1階は浸水した。家のまわりを見て、すごいことになっているのがわかった。津波は来ると思ったが1m位だと思っていた。外階段を上ったところに避難しようとゆっくりしてたら、幼稚園の先生から湊小学校に行ってくれと言われた。車がのろのろ運転しており、その間をぬってこの小学校の体育館の南側で町内の人と会った。
下に降りて体育館の前で避難する人を見ていたら、黒い泥水が来た。「3階に上がって」という声。廊下にいて窓の外で車がどんどん流れている。人も流れている。3階の窓から見ると、窓の外の家にしがみついている高校生がおり、流されようとしている。それをロープで引っぱって、引き上げて助けた。4m位の波が来た。
 最初の晩、寒かったが1部屋に116人、人数が多く体温だけで、それが暖房になった。小学校の小さな椅子に朝まで座っていた。ここから見える総合福祉会館のその向こうにもう一本道路があるが、そこの電柱は全部が倒れた。この小学校の1階は全部泥で埋まった。車14~15台が流された。体育館のバスケットゴールと同じ高さまで水が来た。あそこに見えるお寺の住職が逃げおくれ、津波に巻き込まれて亡くなりました。その隣りのお寺のお墓に、車がたくさん流されたままになっています。これを見ると当時の被害のすごさがわかると思います。
この小学校は1~2年前に耐震構造に建て替えたところでした。誰もこんな大きな津波が来るとは思ってなかった。だから、逃げ遅れた。川のそばから自宅の2階に避難した人の話ですが、この小学校までがれきをのり越えて、2時間もかかったと言ってました。仮設の抽選はしていない。家を修理して、なんとか暮らしたいと思っている。息子はこの近くだが、一緒に住もうと言ってくれている。この小学校では、仮設の申し込みをした人が230人位いるが、2~3人しか当選していない。

・70代女性、自宅は津波で流されました。川の近くに自宅があり、家は流されました。私はすぐ逃げた。5分遅れたら津波に飲み込まれていた。
着の身着のまま逃げたので、通帳も何もありません。1度近くの小学校に避難したが、地震でシャッターが閉まっていて、この湊小学校に来ました。「2階3階に上がってくれ」と案内があった。演奏会の楽器を取りに家へ戻って亡くなった人がいます。実家、弟の家、私の家は全壊ですが身内で亡くなった人はいません。地震の後、言語障害になりしゃべれなくなりました。ともかく寒かった。5日間飲まず食わずでした。
 3日目に飲んだ、おちょこ1杯の水がどんなにおいしかったか。でも2度と経験はしたくない。こちらに来て7kg痩せませた。私はずっと一人暮らしです。仮設の抽選ははずれました。よく何がほしいですかと聞かれますが、お金の他はお水、ティッシュペーパー、ウェットティッシュです。妹、弟たちのことが心配。仙台の妹がここに来たが、がれきがすごく石巻市に入れなかった。14日後に来れたとき「ウェットティッシュ持ってない?」と思わず聞いてしまいました。この土地に愛着があるので仮設住宅はこの周辺にしてほしい。

・70,60,60代男性、津波、2Fまで水につかる。部屋の住民19人くらい、仮設に応募するが、誰も当たらない。部屋の中では会話を絶やさないようにしている。94歳の母親がいて、すぐに津波から逃げられず、2Fの足元まで水につかった。自分が流されないように手すりにつかまった。津波が8回きて、北上川の橋の上で車が流された。地震で火事があり、集まった消防車5~6台が津波で流された。川の近くに(避難用の)高台が欲しい。海寄りには住めないが、石巻を離れたくはない。まずは仮設住宅に入って、それから今後の復興について考えたい。

・80代男性、助かった人はそれでいいのではと、がまんは当然であるとの考えを盛んに述べていた(風呂も入れるようになったし)。仕事がなくなってしまった人が多い。それが最大の問題点。今後どうやって生計を立てて行くか。特に若い人。260人位が現在避難している。この数は次第に減少してきた。団体生活をしていると気をつかう。町内で18人が亡くなった。当日は、この教室に100名位が避難。すし詰め状態だった。石巻の事をわからない報道陣が多い。
 (感想)当初は、何も困っている事はない、聞いてもらうこともないという雰囲気であったが、次第に話し始め津波の状況(流された町内の人等)を説明してくれる迄に至った。やはり、本当は話をしたいこと、聞いてほしいことが沢山あるのではないかと思った。最後は笑いがこぼれるまでになった。

・80代女性、1階は住めない。2階は大丈夫。足が痛く外出は思うように出来ず、窓の外から景色を見るのが気分転換。早くおちついて暮らしたい。近くに息子さんが住んでいる。定期的に病院で検診している。

・70代女性、津波で流失。地震のゆれを感じてから20分後に津波が来て、家が流された。家からは何も取れなかった。津波を見ていたら、屋根が流れていた。息子も仕事中に被災、津波にあったが3回目の夜にここを訪ねてきてくれて会えた。裏の墓は自衛隊が4~5回かけて泥をかいた。今は部屋で雑魚寝している。仮設に入りたい。石巻からは離れられない。

・60代女性、津波で2Fヒザまで水に浸かる。地震の時、自宅兼工場に戻って従業員を待っていたら逃げ遅れた。35人の従業員のうち10人が亡くなった。ネコを7匹飼っていたが、うち6匹が亡くなった。残った1匹は地震のショックで自分の声に反応しなくなり、今病院に入院している。工場の車全部が流された。夫は今回、何億円もの設備を失った。こんなにひどい津波が来るとは思ってもみなかった。私の家は、形はあるがすべて津波でだめになった。今は、この学校に避難させてもらってるだけでもありがたい。仮設住宅の申込みは早くからしているが、この部屋では誰も当っていない。

以上
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