第546回 神戸お話伺いメモ 2012/2/11 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。「終の棲家は此処だね」。近隣の方々のお世話をしたり,1日2時間歩くようにしたりと,お元気そうな模様。
東日本大震災について訊いたところ,津波があった分,大変だったろうが,最初の地震への対応は後手に回ったのでは,と思ったとのこと。

・80代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅に4年いた後,この復興住宅へ。一昨年,病院で置き引きに遭い,「日本でこんなことがあるなんて考えられない」。以後,鍵交換に1万円かかったりと大変な思いをしたり,表札に名前を書かないなど警戒心を強めたりしている。

・60代女性,東灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごす中,東灘区の両親の介護に通い,入退院を繰り返した母の治療費のためお金を使い果たし,弟の援助を受けた。いったん別の仮設住宅に移った後,この復興住宅へ。心臓に異常を抱えながらも隔日で仕事を続けている。
部屋中をアートで一杯にして、「話しを聞いてくれてありがとう」と涙ぐまれた。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。被災時,文化住宅の2階にいて無事だったが,隣の建物が倒れかかってきて,もたれかかったため,損壊した。ポートアイランドの仮設住宅に4年間いた後,この復興住宅へ。何種類もの薬を間違わず飲むのも大変な模様。
タバコが好きで,院内で喫煙できる,ヘビースモーカーの院長がいる病院まで,自転車に乗って行く。暖かな室内に上がらせていただいてのお話し伺い。

・70代女性,70代夫と2人暮らし。兵庫区で全焼。被災時,文化住宅の2階に住んでいた。着替えなどの準備をする余裕はなく,パジャマ姿,素足のままで脱出,近くの小学校へ避難した。
垂水区の仮設住宅で3~4年過ごす。その間も長田区まで靴製造のアルバイトに通っていた。この復興住宅に入居して13年目。年金が減って困っていると,現在も午前中3時間ほど清掃の仕事に。
震災時の辛さを思い出して時折涙ぐんだが,ボランティア参加者と被災場所が近いことが判ると,うち解けて元気になっていった。

・80代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。被災後妻を亡くし,他の公営住宅を経て,この復興住宅へ入居して3年。ヘルパーに週2回来てもらっている。歩行器に手をかけながら玄関に立ってお話し伺いに応じてくださったが,しんどいとのことで,短時間で切り上げ。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で被災。震災後は商売が不振で閉店。数年間勤めた臨時の職も昨2011年で退いた。
この10年近く,さまざまな病気の進行で医療費が嵩んでいるので,市に相談したが,年金支給額とのかねあいで補助はできないと言われた。「迷惑にならぬ余生を送りたいと思います」,「孤独な人々に支援をお願いします」とのメッセージも。<自身で支援シートに記入>
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