第553回 神戸お話伺いメモ 2012/5/26 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。近くの学校に避難した後,加古川市の仮設住宅へ。仮設住宅にいたときは,駅まで歩いて20分もかかるので,しんどかった。
民間賃貸住宅を経て,この復興住宅へは竣工間もなく入居,以来13年に。まあまあ近所づきあいはある。

・70代女性,一人暮らし。兵庫区で全壊。出勤途中,高速神戸駅で地震に遭い,陥没したところや周囲から倒れてきそう建物がある道路を歩いて家まで戻った。近くの小学校の避難所に8月まで居た後,ポートアイランドの仮設住宅へ。大規模な仮設住宅で,隣の物音も筒抜けで,とくに暑さ寒さは仮設住宅の方が辛かった。仕事はポートアイランドでしていて,震災後1月ぐらい休ませてもらった後,再開した。
この復興住宅には竣工間もなく入居。住宅の北側には,高速道路が走っているほか,入居当初は貨物列車も走っており,うるさく寝られなくなった。震災前に居たところが静かだっただけに,かなり心身にこたえた。その他は特に身体の具合は悪くない。

・80代女性,一人暮らし。灘区で半壊。近くの学校に避難した後半年ほど長男宅に。夫は大工で,自分が手掛けた被災家屋の修理に忙しく,過労のためか,震災3年で亡くなった。
この復興住宅に入居して12年ほどになるが,ここにいる人とは,だんだん交流を広げている。最近,足腰が痛いが,こけたら誰かの世話にならないといけないので,何とか一人で頑張っている。

・70代女性。灘区で全壊。早朝勤務のため4時半に家を出て,震災の時は大阪の勤務先に。すぐに家に戻ろうとしたが,国道2号線を歩いて,8時間以上かかった。
大阪に1年居るなどした後,この復興住宅に入居して13年。今では近所の方とコミュニケーションを取って,カラオケを楽しんだりしている。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。東灘区の公共施設の避難所で4ヶ月過ごした。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へは竣工当初から入居。
8年前に夫を亡くし,一人暮らしに。心臓の手術をした後は,ほとんど寝て過ごしていた。
「自分で今が一番いいと納得しなくては生きていけませんね」と前向きに。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの集会所に避難した。高血圧だが,身体に合う薬を飲むようになって,今ではかなり下がってきた。普段はこむら返りがよく起こり,歩きにくくなる。
出かける前に自転車を止めて,立ち話をさせていただく。

・「ボランティアご苦労様。元気に過ごして,今日はハイキングに出かけております。」<自身で支援シートに記入>

・「全員,健康は良好です。子供(小・中学生)もだんだん慣れてきて,学校へも楽しく通っています。」<自身で支援シートに記入>

・70代女性。ドアは開いたが,体調が悪いとのことので,「今,起きていられない。ごめんなさい。」と,閉められた。

・「ちょっと忙しいので…」<インターホン越しに短い返答>

・男性。ドアは開いたが,「もういい」と,閉められた。
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鯨井まさふみの教え子

テレビで見ました。
十数年たっても 知り合いすらもできない、孤独な方だらけですって?!
NPOか慈善業者か民生委員がむりやりにでも グループ分けして お年寄りに交換日記をさせれば解決するでしょ?
ノートの受け渡しもその人らでやってさ。
交換日記は、おとしより向けのSNSになりますよ。

イベントひらくよりしんどさも少なくて済みますし、何より簡単に意見や心情の交換になります。
いちばん人にわかってもらいたい,その点について書くことができる,表現できるんですから

何を書いたらいいか分らなくても,クイズや問題をかいて、つぎのひとに当てさせ 交流を楽しむこともできるんじゃないでしょうか。
by 鯨井まさふみの教え子 (2014-01-22 00:35) 

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