第561回 神戸お話伺いメモ 2012/9/22 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者5名でした

・70代男性。中央区で半壊。被災後妻は実家に避難したが,自身は六甲アイランドで仕事をしていたため,離れることができず,近くの宗教施設や壊れた自宅で寝泊まりし,さらには壊れた家を賃借したりして,避難所には行かなかった。この復興住宅へ入居して13年半。入居にあたっては。被災者として旧公団と直接契約したので,当初の家賃は安かったが…。長く神戸に住み,70歳まで働いてきた。企業年金に支払い上限が設定されたので,長い間掛けた割には,それほど多くない。かつてはたくさん吸っていたタバコも数年前にやめた。仕事仲間と連れだって遅くまで飲み歩いたが,みな高齢になってきたので,体調を慮って,最近はあまり行かなくなった。1945(昭和20)年の神戸空襲では,3月に経験,6月には自身は疎開したが,妻は経験したとのこと。神戸中心部を襲った1967(昭和42)年の水害では,近くの家や人が流されたのを覚えている。きれいにされたお部屋に上げていただき,さまざまなお話しを伺った。

・70代女性,中央区で一部損壊。液状化現象のため住めなくなったが,全壊・半壊の認定が受けられなかったのと,当時まだ年齢が若かったこともあって,仮設住宅・復興住宅の抽選で優先されずに,後回しにされたため,やっとこの復興住宅に入居して13年。住んでいる部屋は旧公団(現UR都市再生機構)から神戸市が20年契約で借り上げたところで,数年後に期限が迫っているが,市に言っても,お役所仕事で埒が明かない。今さら新しい家に行きたくない。たとえ津波で流されても,死ぬまで此処にいたい。白内障がある他は元気。健康法は近くの温泉に行くこと。友人関係はあるので淋しくはない。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごしたり,三田市で避難生活を送ったりした後,この復興住宅へ。夫を2年前に亡くした。趣味の多い夫とは,車いすで釣りに出かけてストレス解消するなどしていたこともあって,12年に及んだ看病も苦にならなかったが,それだけに今は心細い。ボランティア参加者の1人と,同じ仮設住宅で過ごした知り合いと判り,夫を亡くしたとき,涙もあまり出なかったのに,こんなに涙が出たのは初めて,と言うほどに涙を流した。

・70代女性,灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後,この復興住宅に入居して14年目。訪問したときは夫を亡くして11日目。肝臓ガンが見つかって2ヶ月ほどの,突然の別れだった。息子(40代)にも先立たれていて,娘(最近あまり来てくれない)と2人女だけが残された。心細いが,49日までは元気でいなくてはと思っている。杖をついているのは最近転んだため。近所づきあいはあまりない。

・40代男性,須磨区で一部損壊。ガスも電気も異常なかったが,妻の家は半壊だった。子どもはこの復興住宅に入居してから生まれた。仕事があるので…と,あまりお話しはできなかった。

・50代?男性。「今,手が離せないので…」と,ハサミを持って何かを切っている真っ最中に,お返事だけ戴く。

・男性。「何を今更話せって言うねん」と,震災のことを話したくない様子。

・10代女性。「家族が仕事なので…。」<インターホン越しに応答>

以上
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