第539回 阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集 2011/10/8 [神戸活動案内]

日時:2011年10月8日(土)午後1時~5時

集合場所、時間:三宮駅から南東徒歩5分「神戸市勤労会館」
・午後1時に和室1の部屋にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話078-734-6544、携帯090-8121-9709週末ボランティア代表:東條健司まで


前回の訪問は参加者7名でした。

第538回 神戸お話伺いメモ 2011/9/24 [2011年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,70代夫と2人暮らし。灘区で全壊。近くの原っぱに,家にあった食料をもってきて,テントを張って,5家族で生活した。娘婿が迎えに来てくれたので,自分一人でいったん西区に行ったが,夫が心配でテントに戻った。
3ヶ月ほどしたところ,神戸市から立ち退きを要求されたので「どうしたらいいのか?」と詰め寄った。おかげで東灘区の仮設住宅に入り,2年過ごした。
去年,腎臓を患うまでは,この復興住宅の自治会でお世話したり,東灘区にボランティアに行ったりしていた。

・60代男性,一人暮らし。尼崎市で全壊。罹災証明をもらうのが遅くなり,義捐金などは受け取れず,自力でアパートを探して入居。
ついで西宮の市営住宅で10年過ごしたが,呼吸器系の内部障害のため,酸素が手放せなくなり,エレベーターがなく4階まで階段で上るのもたいへんになったため,この復興住宅へ。
近隣とコミュニケーションが取りにくく,大気汚染や騒音で身体の調子がいっそう悪化しないか心配。2週間前「予告チラシ」を投函してから連絡を取ってこられ,訪問当日も私たちを出迎えてくださるなど,訪問を心待ちにしてくださった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で一部損壊。高齢者向けの募集でこの復興住宅に入居したのは昨年。
40代で離婚して以来,最近まで,百貨店の販売員などの仕事を続けてきた。
震災直後,ライフラインが止まり余震の不安もあって,近くの公園で野宿のような避難生活をしていたところへ,北摂から娘夫婦が迎えに来て,一緒に公園のベンチで夜明かしした後,荷物を運んだり,片付けなどをしてくれたりした。包丁で左人差し指の先を切ったところ,神経を傷つけていて,左手にしびれが来るようになってしまった。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。当時働いていた夫が仕事に行けるような場所にある仮設住宅を申し込んでも当たらず,収入もあったため市営住宅にも当たらなかった。
灘区のマンションで5年過ごした後,この復興住宅へ入居。ここへ来てから夫が脳出血で倒れたが,奥さんがいたおかげで大事に至らず,今ではリハビリのおかがで歩けるようになった。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。長く尼崎で総菜店を営んできたが,再開発に絡んで借金を背負わされ苦労した。
先にお父様が別棟に入居していたことから,自身も7年前にこの復興住宅へ。
肺を患っているご主人の介護をしながら,1日2~3時間,清掃の仕事をするほか,高齢者が多いこの復興住宅の棟の住民のための活動もしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。ここに来てしばらくして母を看取ったが,100歳を超えるまで世話ができてよかった。
読書が趣味で,同好の友人も多いと,楽しそうに話された。

・20代男性。東灘区で半壊。被災当時は小学生だったが,震災のことは鮮明に覚えている。近くの中学や高校で避難生活を送った。
この復興住宅には,一般募集で入居して3年,2人の子育て中。

・80代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。奥さんは元気だが忘れっぽくなって困っていると笑いながら,お話し伺いに応じてくださった。


以上

第537回 神戸お話伺いメモ 2011/9/10 [2011年神戸お話伺いメモ]

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。大阪の妹宅に一時身を寄せたが,同区内の民間アパートで8年過ごした後,この復興住宅へ。
普段の買い物は奥さんが。警察に40年勤め,主に交通違反者の処分に関する仕事をしていた。
7年前,顔の筋肉が化膿し,手首の筋肉を移植した。そのため,話すのもたいへんな中,お話し伺いに応じてくださった。

・80代・50代女性,宝塚市で被災。タンスが倒れてきて頭に当たり,14針縫うケガを負い,怖い思いをした。
当時居住していた県営住宅は倒壊せず,ガス・水道・電気もすぐに復旧し,仮設住宅にも入らなかったのは,不幸中の幸いだった。
職場にも復職でき,生活には困らず今に至っている。(自身で支援シートにご記入)

・40代女性。震災時は北区。高校生の子どもが2人おり,上の子はこの日も自宅で受験勉強中。同じ復興住宅に父親がいるため,何度も申し込んで,3年前に入居。

・女性。2週間前,予告チラシを投函した際にお目にかかったところ,フラッシュバックであろうか,東日本大震災以来,血圧が上下してしんどいとのことだった。今回,体調を尋ねたら,「前よりは少し元気になった。薬たくさん飲んだから。出かけなあかんし…。」と,出がけにお話し伺い。

・女性。東灘区で全壊。震災時は仕事の関係で奈良にいたが,かなり揺れた。テレビを観て神戸がたいへんなことになっていることを知り,在宅していた息子を心配した。
ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。膝が悪く歩くのがたいへんと,インターホン越しにお話し伺い。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。文化住宅の2階にいたので自分は大丈夫だったが,階下の住人は亡くなった。身内のもとや近くの高校の避難所に身を寄せた後,ポートアイランドの仮設住宅に4年過ごし,この復興住宅に入居して13年目。
夫は,阪神淡路大震災の前年に亡くなったが,震災を知らず幸せだった。震災の時まで,Yシャツの縫製の仕事をしていて,7人ぐらいの女性を雇用して,百貨店などに納めていた。息子が月に1回は訪ねてきてくれる。今はあまりであるかないが,友人がたくさん集まってきてくれるので淋しくない。

・70代女性,60代夫と2人暮らし。灘区で一部損壊。実家で母を看ながら5年過ごしたが,壊れたキッチンで家事をするのがたいへんだった。
今のご主人と再婚し,県営住宅に入居したが,家賃がたいへんだったので,何度も申し込んで,4年前にこの復興住宅へ。
趣味も多彩で,フラワーアレンジメントは,腕を活かして教えたりボランティアしたりしている。刺繍の作品は玄関周りにも飾っている。この他にも,子育て支援の有償ボランティアもしており,児童館に連れて行っている。ご主人は最近安定した仕事に就き,定年まであと2年勤められるとのことだが,訪問時は,お酒を飲んで休日を過ごされているところだった。

以上

第536回 神戸お話伺いメモ 2011/8/27 [2011年神戸お話伺いメモ]

・男性,留守番です,と言う事で最後に回ると「入院です」との事でした。

・70代女性,東灘区で全焼。震災時は,朝5時からの仕事で,六甲アイランドにある勤め先の店屋にいた。避難所が行政が認めた避難所でなかったため,次々と移動させられた。同じアパートにいた身体障害者の住人と一緒に移動したことも。
やっとのことで垂水区の仮設住宅へ。被災時に気づかないうちに強打していた後遺症であろうか,背骨を痛め(脊椎狭窄症),要介護2の通院を続けており,今日も病院に行ってきた。
重たいものは持てない為、週1回ヘルパーさんには買い物とかの支援に来てもらっている。
はじめは声も弱弱しかったが、次第に元気になり、最後には「頑張って下さい」「暑さを持って行って」などと言い、握手をして別れた。

・女性。「(東日本大震災以来,阪神淡路大震災のことを)思い出すのが辛く,話したくない」と,インターホン越しに。
今とくに困っていることはないとのことだが,健康状態を尋ねるとやや声の調子が下がった。

・「忙しいので…」とインターホンを通じて応答するも,安否確認程度のお話ししか伺えず。(3軒)

・支援シートに「お断りします」と大書して貼り付けた玄関ドアは,風通しのため少し開いていた。                               

以上

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