2012年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第567回 神戸お話伺いメモ 2012/12/22 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者5名でした。

・70代女性。夫婦2人暮らし。中央区で全壊。タンスの下敷きになったが,その上にあったものが先に落ちてきたおかげで助かった。多くの人に助けてもらった。4時間埋まっていたため腰を痛めた。長く商店街で営んでいた店も被災し解体した。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へ。今はあっちこっち病院通いをしている。しんどそうだったのに加え,寒い中での強風のため,お話し伺いを短めに切り上げた。

・40代男性。母(入院中)と2人暮らし。須磨区で全壊。西区の仮設住宅で3~4年過ごす。もといたところの方が住みやすかった。友達もいたし…。被災当時まだ若かったので仮設住宅や復興住宅の抽選で優遇されず,やっと入ったこの復興住宅は借り上げ復興住宅。あと何年かで出て行かなければならないはずなのに,神戸市から移転に関する書類が来ていない。

・20代男性。中央区で半壊。避難所や仮設住宅には行かなかった。10年ほど前に母と2人でこの復興住宅に入居。母は元気。
・50代?女性。インターホン越しに応答はあったが,言葉が聞き取りにくく,しばらく待ってみたものの,玄関ドアを開けてはもらえなかった。
・50代男性。車いすで出てきたところ,ヘルパーが「スーパーへ行くところです」とのこと。
・「何もありません。ありがとうございます。」<ご自身で支援シートに記入>
・「被災者ではないので話すことはない。」<お電話をいただいた>
・女性。「今から出かけますので…。」<インターホン越しに応答>
・40代?女性。「今話すことはない」<インターホン越しに応答>
・40代女性。「今忙しいので…」<インターホン越しに応答>
・女性。東灘区で全焼。<インターホン越しに応答>
・50代。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・50代女性。「人が来ますので…。」

以上

第566回 神戸お話伺いメモ 2012/12/8 [2012年神戸お話伺いメモ]

 前回の訪問は、参加者5名でした。
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 新年の行事予定のお知らせ
2013年1月12日(第2土曜日)午後2時~5時、神戸市勤労会館(JR三の宮の東南へ徒歩5分)306会議室にて、「阪神・淡路大震災18年目の週末ボランティアの会」を催します。                 
過去の活動を振り返ってこれからの在り方を考えると共に、犠牲になった多くの被災者の霊を慰めたいと思います。ぜひおいで下さいますよう、ご案内を申し上げます。
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・70代女性,灘区で全焼。近所一帯は激しく燃え,もらい火で自宅を失った。いったん知人のマンションに行ったが,そこも全壊扱いとなり避難所へ。近くの中学校の音楽室で1年近くを過ごした。同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して15年目。この部屋は借り上げ復興住宅なので,移転先の市営住宅の募集に申し込んだが,抽選に外れた。これからのことを考えると…。ボランティア活動の経験もあり,今もヘルパーとして働いているとのことで,お元気そう。訪問時は,補修工事のため,ベランダに置いている植木を玄関前に移動させていたものを,戻し始めていたところだった。それらの多くは,お世話していた利用者が,自分で育てられなくなったものを引き取ったり形見にもらったりしたもので,中にはご自身より若い人も。このときかぶっていたベレー帽も友人の形見。翌日に予定されていた神戸マラソンの話題になり,ハイタッチをして別れた。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全焼。近くの小学校に避難した後,六甲アイランドの仮設住宅へ。出かけるのに六甲ライナーの高い運賃が大変だったが,神戸市はそれにたいして何もしてくれなかった。被災当時はまだ若く優先されなかったため,やっとのことで入ったこの部屋は借り上げ復興住宅。一人暮らしとなった今では,URと直接契約して住み続けるのは大変。市営住宅の移転先を申し込んだが抽選に外れた。空いていて入りやすいところは山の方とか奥の方とかばっかりで…。足が不自由で,インターホンが押されてから出てくるまでに時間がかかるので,訪問者は留守だと思って去ってしまい,呼び止めても気付いてくれないことが多い。

・50代男性。尼崎市で全壊。両親と住んでいたため仮設住宅には入居せず,近くに家を借りた。両親は亡くなり,12年前に結婚し,この復興住宅へ。入居したばかりの頃,同じ階の人たちと話したが,今ではほとんどが転居してしまった。病気で足が不自由になり,車いすを使用。2人の子どもは学齢期の育ち盛り。神戸市が,借り上げ復興住宅の住人に出て行けと言っているのはよくない,新たに住宅を建設すべきであった,今更期限を突きつけるのは酷いと、心根の優しい人でした。

・50代女性,夫婦2人暮らし。兵庫区で被災。半壊と判定されたが解体された。被災後すぐに大阪に引っ越した。旧公団と直接契約して,この復興住宅に入居して12年。震災時に友人が亡くなっていた。4人の子どもたちはもう独立したが,子育てで苦労したこともあり,ノイローゼになりそうだったが,愚痴っても仕方ないし,最後はやっぱり自分で決めるしかない、と苦労を楽しみにするようだった。

以上

第565回 神戸お話伺いメモ 2012/11/24 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者6名でした。

・70代男性,夫婦2人暮らし。東灘区で全壊。被災後北区の仮設住宅に最後までいたので,4年間ほど住んだことになる。復興住宅の抽選になかなか当たらなかったので,神戸市から,この部屋をあてがわれたような感じだ。妻が緑内障で,入退院を繰り返している夫が,何でも杖代わりになっているような感じ。週1回掃除、週2回買い物にヘルパーさんが来ている。ここは人との交流もなく、自治会の人が時々はたずねては来るが、何より心配なのは,この部屋が借り上げ復興住宅であるため20年で出て行かなければならないこと。できたらここで最期を迎えたい。と思ったよりしっかりお話しして下さいました。

・60代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。「現在通院中(2人)。この住宅は20年の借り上げで,残り7年,その後の事が心配です!(やっと,色んな面でなれたので)」と書き込み。

・10代女性。両親は外出中。学校で震災のことを少しは教わっている。両親から震災のことを詳しく聞いたことはないが,大変だったらしい。

・震災には遭っていない。越してきたばかりなので。

・女性。「人が来ているので…」<インターホン越しに応答>

・男性。「結構です。」<インターホン越しに応答> (2軒)

・男性。「先々週,越してきたばかりで…」と赤ちゃんをだいて。震災には遭っていない。

以上

第564回 神戸お話伺いメモ 2012/11/10 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人2名を入れて、参加者8名でした。

・80代男性。東灘区で全壊。壊れた家の下敷きになって,被災後4時間も埋まっていた。上からかけてくれる声はよく聞こえたのに,下から叫んでも聞こえていなかったようだ。近くで,5人並んで埋まっていたが,1人だけ助かったこともあった。交通が不便な中,大阪まで行って,手や腕に皮膚移植の手術をした。六甲アイランドの仮設住宅には4年以上いた。この復興住宅に入居して14年目。ここに来たばかりの頃は,自転車であちこちに出かけていたが,やがて脳梗塞で倒れ,あちこちがしびれたり,味がよく判らなくなっている。色々なお世話役をしてきて,先日,5名ほどの東京の女子高生が話しを聞きたいとやってきた。老人会も続けており,本当に女性の一人暮らしが多いと感じる。身体が動けば,友愛訪問活動などをもっとやりたい。例年1月17日には東遊園地で「1.17」のロウソクを立てていたが,来年は摩耶埠頭でしてみようと思っている。

・80代女性。東灘区で全壊。一人暮らし。六甲アイランドの仮設住宅に4年いて,ようやっとこの復興住宅へ。やっとの思いで入れたこの部屋だが,借り上げ復興住宅のため,数年後には出て行かねばならない。URと直接契約して住み続けるのは,年金暮らしでは難しい。今年の抽選に外れ,移転先は決まっていない。年を取って引越しするのはたいへん。今かかっている医者に通い続けたいので,遠くには行きたくない。近所で親しくしている人の中には,既に移転先が決まったという人も何人かいる。娘から同居をすすめられているが,婿が定年でずっと居るようになると気を遣いそうだし,一人暮らしの方がが気楽なので…。

・女性。中央区で全壊。この復興住宅には父(70代)が住んでいて,自分は時々やってくる。父はポートアイランドの仮設住宅に最後までいて,自治会役員としてお世話をしていたため,この復興住宅に入居して14年目になる今でも,色々な人が相談に訪れている。この部屋は借り上げ復興住宅で,移転先の申込書が届いている。最悪の場合,東灘区の公営住宅に入れるようになっているが,できればここにいたい。

・70代男性。灘区で全壊。夫婦共々元気で過ごしている。この復興住宅には早くから入居しているが,近くを通る高速道路や国道がうるさい。買い物は,スーパーも近くて便利。普段からなるべく歩くようにしており,この近くを3~4km歩いている。訪問時もその準備をして出かけるところであった。生涯学習の色々な講座にも通っている。

・70代男性。中央区で半壊。夫婦共々元気で過ごしている。被災した自宅を修理して5年ほど住んだ。喘息のため,発作の時はたいへん。

・男性。長田区で全壊。比較的被害が少なかった垂水区に引っ越した。その後引越を繰り返して,やっとこの復興住宅へ。

・70代男性。中央区で半壊。妻・母と3人暮らし。かつては飲食店を営んでいた。

・30代男性。子どもと暮らしている。母は亡くなった。<インターホン越しに応答>

・女性。「話しはありませんし,話したくありません。」<インターホン越しに応答>

・女性。「忙しいので,すみません」<インターホン越しに応答>

・男性。「今,食事中なので…」<インターホン越しに応答>

・男性。「話したくない」

・50代男性。「何ですか?」<インターホン越しに応答>

・30代男性。お休みのところを出てきて「いいです」。

以上

第563回 神戸お話伺いメモ 2012/10/27 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者5名でした

・80代女性,灘区で一部損壊。被災後は一時,近くの公園で避難生活を送ったが,またもとの借家に戻った。この復興住宅に入居して7~8年。同居している高齢の母は,週3回のデイサービスを楽しみにしている。今特に困っていることはない。人に文句を言わないようにしている。家事は自分がしているが,買い物は近所の人や母にも手伝ってもらうこともあり,助け合って暮らしている。

・50代女性,灘区で全壊。娘(30代)と2人暮らし。近くの小学校に避難した後,同区内の仮設住宅で2~3年過ごす。仮設住宅にいたときは自治会役員をして住民のお世話をしていたことも。この復興住宅に入居して14年近く。入居している部屋は借り上げ復興住宅だが,来2013年にも,この近くの市営住宅に移れることになった。

・60代?女性。一旦はドアを開けて,お話し伺いに応じて下さると思われたが,何故かすぐに閉められた。

・80代女性。「須磨から越してきましたが…」<インターホン越しに応答>

・20代男性。神戸市外から引っ越してきたので,何も話すことはない。

・60代男性。食事中で手が離せない。

以上

第562回 神戸お話伺いメモ 2012/10/13 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、新人2名を加えて、参加者7名でした

・80代男性,夫婦2人暮らし。東灘区で全壊。自分も負傷せず,妻も倒れかかった仏壇の下の隙間にいて助かったが,近くでは倒壊した建物の下敷きや生き埋めになって,何人も亡くなった。被災後は同区内の息子や身内の家で暮らした後,六甲アイランドの仮設住宅で4年過ごした。周りが皆出て行った後も,最後までいた。初めは,年を取って震災のことは忘れてしまって…とのことだったが,しばらくして話し出した。妻は寝たり起きたりで,自分が家事いっさいをしている。訪問時は入浴介助するところだった。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。地震の時は中央区の職場にいて無事だった。外に出て,野営しているような被災者の姿を見て,被害の大きさを知った。何とか30分ほど歩いて帰宅したら,自宅が倒壊していた。その日は一日中外にいて,近くの小学校に避難,迎えに来てくれた大阪の親戚宅へ。おかげで困らなかった。この部屋は借り上げ復興住宅なので,数年後には出なければならないが,その後は近くの市営住宅に行く予定だ。此処より狭くなるが,掃除も楽になって家賃も少し安くなるようだ。

・90代女性,一人暮らし。東灘区で全壊。この復興住宅に入居する前,六甲アイランドの仮設住宅に3年いた。人工透析のため週3回,4時間半かかるのがしんどい。手がしびれ,足腰も痛く,あまり出歩くことができないので,ヘルパーに買い物を頼むが,食事は自分で作る。訪問時,息子(60代)が訪ねてきて,母親を気遣う姿が見られた。

・70代女性。東灘区で全壊。近くの公園に避難した後,仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅へ。借り上げ復興住宅の期限のことが一番心配。神戸市からは1回しか説明がなかった。高齢の母もおり,引っ越すのは厳しい。訪問時,息子夫婦が訪ねてきた。

・40代?女性。中央区で被災。今一番の悩みと不安は,借り上げ復興住宅のこと。お年寄りがいる世帯では今更引っ越すのも大変。全ての問題がここに行き着くのでは?

・80代女性,一人暮らし。地震の時は中央区にいた。ポートアイランドの仮設住宅に4年いた。
・50代?女性。「しんどいので…」と,とりわけ震災のことについて話すのが辛そうな様子。
・男性。ちょっと取り込んでいるところ。

以上

第561回 神戸お話伺いメモ 2012/9/22 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者5名でした

・70代男性。中央区で半壊。被災後妻は実家に避難したが,自身は六甲アイランドで仕事をしていたため,離れることができず,近くの宗教施設や壊れた自宅で寝泊まりし,さらには壊れた家を賃借したりして,避難所には行かなかった。この復興住宅へ入居して13年半。入居にあたっては。被災者として旧公団と直接契約したので,当初の家賃は安かったが…。長く神戸に住み,70歳まで働いてきた。企業年金に支払い上限が設定されたので,長い間掛けた割には,それほど多くない。かつてはたくさん吸っていたタバコも数年前にやめた。仕事仲間と連れだって遅くまで飲み歩いたが,みな高齢になってきたので,体調を慮って,最近はあまり行かなくなった。1945(昭和20)年の神戸空襲では,3月に経験,6月には自身は疎開したが,妻は経験したとのこと。神戸中心部を襲った1967(昭和42)年の水害では,近くの家や人が流されたのを覚えている。きれいにされたお部屋に上げていただき,さまざまなお話しを伺った。

・70代女性,中央区で一部損壊。液状化現象のため住めなくなったが,全壊・半壊の認定が受けられなかったのと,当時まだ年齢が若かったこともあって,仮設住宅・復興住宅の抽選で優先されずに,後回しにされたため,やっとこの復興住宅に入居して13年。住んでいる部屋は旧公団(現UR都市再生機構)から神戸市が20年契約で借り上げたところで,数年後に期限が迫っているが,市に言っても,お役所仕事で埒が明かない。今さら新しい家に行きたくない。たとえ津波で流されても,死ぬまで此処にいたい。白内障がある他は元気。健康法は近くの温泉に行くこと。友人関係はあるので淋しくはない。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごしたり,三田市で避難生活を送ったりした後,この復興住宅へ。夫を2年前に亡くした。趣味の多い夫とは,車いすで釣りに出かけてストレス解消するなどしていたこともあって,12年に及んだ看病も苦にならなかったが,それだけに今は心細い。ボランティア参加者の1人と,同じ仮設住宅で過ごした知り合いと判り,夫を亡くしたとき,涙もあまり出なかったのに,こんなに涙が出たのは初めて,と言うほどに涙を流した。

・70代女性,灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後,この復興住宅に入居して14年目。訪問したときは夫を亡くして11日目。肝臓ガンが見つかって2ヶ月ほどの,突然の別れだった。息子(40代)にも先立たれていて,娘(最近あまり来てくれない)と2人女だけが残された。心細いが,49日までは元気でいなくてはと思っている。杖をついているのは最近転んだため。近所づきあいはあまりない。

・40代男性,須磨区で一部損壊。ガスも電気も異常なかったが,妻の家は半壊だった。子どもはこの復興住宅に入居してから生まれた。仕事があるので…と,あまりお話しはできなかった。

・50代?男性。「今,手が離せないので…」と,ハサミを持って何かを切っている真っ最中に,お返事だけ戴く。

・男性。「何を今更話せって言うねん」と,震災のことを話したくない様子。

・10代女性。「家族が仕事なので…。」<インターホン越しに応答>

以上

第560回 神戸お話伺いメモ 2012/9/8 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、新人2人を入れて、参加者7名でした

・80代男性。中央区で半壊。被災後2~3ヶ月娘宅に避難したが,被災した住宅に戻って住み続け,この復興住宅に入居。妻を震災後3ヶ月目に亡くし,息子が心配して時々来てくれる。買い物も自分でして,食事はほとんど,できあいのものを食べる。高血圧のため,2~3度倒れたことがあり,月1度通院するほか,薬は毎日飲んでいる。介護保険が高すぎると思う。足腰が弱っていて,医師からは1日1時間は歩くように言われているが,しんどくて,とてもできない。

・50代女性。兵庫区で被災。仮設住宅で訪問した際のことを覚えていて「当時幼かった子どもも大きくなりました」と言って程なく,母娘一緒に自転車で外出。夏休みの最後の週末にお出かけする後ろ姿を見送った。

・10代男性。生まれる前からここにいたらしい。ここが(被災者を優先入居させる公営住宅である)復興住宅であることは,何となく知っている。高齢者が多いが,友達もいるので,淋しくはない。

・女児。震災の時のことや今お困りのことなどを伺っているといった,訪問の趣旨を説明したところ「何のことか解らない。」<インタ-ホン越しに応答>

・40代女性。「出かけるところなので,ごめんなさい」と言って,自転車で外出。

・10代男性。僕は解らないので,話はできない。

・30代男性。暑さをしのぐべく,玄関扉を開けてお休み。

・「けっこうです。」<インタ-ホン越しに応答>

以上

第559回 神戸お話伺いメモ 2012/8/25 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者6名でした

・30代女性。灘区で全壊。火災も発生したが,近くで焼け止まった。通っていた小学校が避難所になっていたので,こぢんまりとしたところで授業を受け,体育館での卒業式もなかった。須磨区の仮設住宅を経て,この復興住宅へは,竣工して間もない時期に入居。冬場など六甲おろしのすきま風が吹き込んで寒いので,ドアポストを塞いでいる。隣近所には声かけするようにしている。今特に困っていることはない。

・80代女性,一人暮らし。長田区で全壊。あちこち避難先を移動した後,西区の仮設住宅で1~2年過ごす。この復興住宅に一緒に入居した息子は,夫と同様,糖尿病が悪化して若くして亡くなった。大きく腰が曲がり,歩くのもたいへんな様子で,時間をかけて玄関まで出てきて,お話し伺いに応じてくださった。

・60代女性,一人暮らし。長田区で全壊。「今は勤めていますのでお話し聞いて頂く時間がとれないかもわかりませんが,今後お世話になるかと思います。直後は,どうしようかと思いましたが,主人も一緒でしたので心強かったですが,その年末にひとりになり引越しをくり返しやっとこちらの住宅でおちつきました。仕事が出来なくなった時の事を考えると心細いです。」と,自身で記入した支援シートを,玄関外の廊下まで持ってきて「元気です」と。

・60代女性。「右片側マヒで,不自由を感じますが現在のところ出来るだけ自分で頑張ろうと思っておりますが…具体的には家具の移動の時などは苦労します。毎週土曜日は遠方まで理学療法に通っており留守をします。」<自身で支援シートに記入>

・女性。玄関扉が少し開いていたので声をかけたが,自転車で外出するところだった。奥の方から男性が「結構です」。

・男性。「別に言うことはありません。」<インターホン越しに応答>

・男性。「大丈夫です。」<インターホン越しに応答>

以上

第558回 神戸お話伺いメモ 2012/8/11 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者5名でした

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。仮設住宅は,神戸市内ながら一旦は遠方に行ったが,同区内に移り,4年過ごした。娘をこの復興住宅から嫁がせ,夏休みには孫が遊びに来る。長年家政婦の仕事をしていたが,リウマチのため辞めた。薬を飲んでいるほか,最近人に勧められて,機械で電気をあててみたところ,血流がよくなって元気になり,友人もできて外出が楽しくなった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。今さら男の人に気を遣うのはしんどいので,女友達が一番気楽。一見元気そうだが,2年前にインフルエンザの注射をしたあとに下痢をして以来,痩せて臓器も悪くなってしまった。暑いので,百貨店の食品売場でもらってきた保冷剤を入れて,タオルを首に巻いている。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。近くの小学校に8ヶ月避難した後,ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅に入居して14年目。1年半前に,夫が脳梗塞で倒れて以来,リハビリに行くのと家事をヘルパーに手伝ってもらっている。ここで骨を埋めるつもり。不足を言ったらきりがないので,これで満足と思うようにしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。長く立ち仕事をしていたせいか,5年ぐらい前から足腰が弱くなり,ヘルパーに買い物をしてもらっているが,近くのスーパーがなくなって不便に。一人で寂しくはないと言うが…。

・60代女性,一人暮らし。中央区で被災。子どもを育て上げたのを機に,かなり以前から患っていた病気の治療に専念しようとしたところ,心身の負担が重く,副作用に苦しむことになった。

・10代女性。家族は外出中。震災の時に生まれた。
・男性。元気です。<インターホン越しに応答>
・男性。元気にしている。<インターホン越しに応答>
・男性。元気でいます。<インターホン越しに応答>
・男性。玄関ドアを開けたまま,室内でお休み。
・女性。「忙しいので…。」<インターホン越しに応答>
・女性。玄関ドアは開いていたが,「結構です。」

以上
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