2012年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第557回 神戸お話伺いメモ 2012/7/28 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者5名でした

・80代女性,夫婦2人暮らし。東灘区の自宅を未明に出て,中央区から,ご主人が運転するトラックの助手席に乗り込んで,大阪方面に向かっていたところ,尼崎市内を走行中,地震に遭った。上下に激しく揺れて怖かった。ラジオで被害の大きさを知る一方,積荷の電機部品は落下も荷崩れもしていなかった。9年前に脳梗塞で倒れ半身不随に。訪問時,片足を引きずるように玄関口へ。ボランティア参加者の一人と年齢が近いと判ると「お元気ですねぇ」と,暑さの中の訪問をねぎらっていただく。ご主人は睡眠中とのことで,小声でお話しを伺った。

・70代男性。この復興住宅への,外部からの訪問者に不信を募らせ,警戒を強めてきたことから,友愛訪問活動(一人暮らしの高齢者など,見守りが必要な世帯に,地域住民のボランティアが訪問し,安否確認や話し相手などをする)を行うグループをつくるなど,地域住民自治に積極的に取り組んでいる。暑さの中,まさに入浴しようとしているところに,お話し伺いに応じていただく。

・男性。「忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。「今,具体が悪いので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。「何も話すことはありません。」

・女性。「今寝ていたところなので,ごめんなさい。」<インターホン越しに応答>

・男性。玄関のドアを開けていたが「何も言うことはない」と,室内に戻っていった。

・男性。「元気だから結構です。」<インターホン越しに応答>

・女性。「何も言うことはありません。結構です。」<インターホン越しに応答>

以上

第556回 神戸お話伺いメモ 2012/7/14 [2012年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は、参加者4名でした。

・70代男性,長田区で全壊。同区内で営んでいたケミカルシューズの工場は全焼,機械に当たった息子は,その後遺症で亡くなった。息子の死でやる気を失った上,費用も膨大になることから工場の再建は断念,借金返済に追われる,マイナスからのスタートになった。タクシー運転手になり,今のタクシー業界はたいへん厳しいが,人間やはり働くのが一番と,今も週2回ハンドルを握る。仮設住宅への入居はやめて借家住まいに。この復興住宅に入居して13年,高層住宅に住んだのは初めて。長田には人情があり,皆で助け合って生きていたが,ここにはそれがない。

・80代夫婦。訪問時在宅していた奥さんが,杖で身体を支えながら,やっとのことで玄関口へ。しんどそうだったので,お話し伺いを切り上げた。それから程なく,帰宅してきたご主人と出会い,お話しを伺った。背筋がまっすぐに伸びた姿は「予科練帰りだから」と,さらに「まだ走れます」と走る格好をして,元気ぶりをアピール。

・70代女性,夫婦2人暮らし。東灘区で被災。自宅近くの阪神高速道路の高架が倒れた。震災まで長く牛乳店を営んでいたが,当時既に牛乳配達の需要が減っていたことに加え,60歳前後の年齢で再建するのは難しいと,再建を断念した。仮設住宅には入らず,この復興住宅には竣工当初から入居。入居間もなく,自転車を階下に置いていたら盗難に遭ったので,家の中に入れている。商店街や最近新たにできたスーパーでまとめ買いした帰りは,自転車に積んで押して帰ってくることが多い。

・30代女性,中央区で一部損壊。震災の時はまだ十代だった。身体がしんどそうなので,お話し伺いを早めに切り上げた。

・女性。体調が悪いので…。<インターホン越しに応答>

・「せっかくですがお断りします。」<自身で支援シートに記入>

・「具合が悪くて出られませんのであしからず。」<自身で便箋に記入>

・80代女性,灘区で全壊。「ぼちぼちすごしています。有がとうございます。」<自身で支援シートに記入>

以上

第555回 神戸お話伺いメモ 2012/6/23 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代男性,夫婦2人暮らし。中央区で半壊。地震の時は,早朝6時に仕事に向かうのにあわせて,朝食の準備をしていた奥さんが,沸かしていた湯を浴びて火傷を負ったが,コタツの下にいて,揺れのために動けず,そばに行ってあげられなかった。西宮市出身の奥さんの身内では犠牲者が出た。ダンプカーを持って運転していたが,高齢で仕事が来なくなり,5年前に辞めた。3年前に訪問してお話しを伺ったときのことを覚えていて,今回もきれいに掃除されたお部屋に上げていただいてのお話し伺いに。そのときは元気だった奥さんは,今回はしんどいと,休んでいた。この復興住宅は,高齢者が多いので,活気がなく,静か過ぎる感じだ。参加者の一人と出身地(九州西部)が近いと解ると,話しが話が弾んでいった。

・70代女性,中央区で半壊。山側の小学校に避難したが,港に近い住居が半壊認定となり帰宅した。訪問後程なく電話がかかってきたため,お話し伺いを切り上げたが,元気そうな様子。                                                    
以上

第554回 神戸お話伺いメモ 2012/6/9 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。文化住宅の1階で被災,タンスが斃れてきて,首の骨がずれた上,腰もやられて動けなくなり,どうやって逃げようかと思った。ひとまず車に避難した。神戸市内や西宮市に住んでいる息子たちが,単車や自転車で来てくれたので,心強かったが,所帯を持っている子どもたちに期待し続けるのは難しいと思った。近くの小学校に避難している頃,あちこちで仮設住宅が建ち始めたが,何度申し込んでも当たらなかった。
震災から今までずっとリハビリを続けている。白血病ながら土木の仕事を続け,震災時は入院中だった夫は10年ぐらい前に亡くなった。震災のことは聞いてほしくない,あのとき死んでいたらよかったと,今でも思う。

・70代女性,中央区で被災。企業の寮で寮母の仕事をしていて,震災にもそこで遭った。食料などにも困らず,社員たちをみな無事帰すまではと頑張ることが出来た。あの頃は若かったので,不眠不休で頑張れた。震災のおかげで自分は成長したと思う,人の気持ちが解るようになったと,時折涙ぐみながら話した。
この復興住宅に入ってからは,人との関係がよくなるようにと努力している。若い人には,人に感謝する気持ちをもってと伝えたい。以前の訪問時には話せなかったが,今回は話したいと思えるようになり,話すことが出来た。

・50代男性,長田区で全壊。近くの小学校の避難所がいっぱいで困っていたら,どこかのお坊さんが交渉してくれたおかげで,神社に避難でき,今でも感謝している。冷たいながらおむすびをたくさん戴くことができ,雑炊も振る舞ってもらった。仕事もなくなり頭が真っ白になる中,大阪府に避難先と仕事を見つけて移った。
妻が神戸に帰りたいというので,ハローワークに行ったら,自分にあった仕事を選べず,いろいろなパートをしていたが,ひどいものだった。
夫婦それぞれが糖尿病などの病気を抱えていて,車の運転をひかえ,仕事も余り出来ない中,家事を引き受けている。

・60代女性,灘区で全壊。被災後は実家に避難した。元気です。昼寝の途中だったところを訪問。程なく電話がかかってきたため,お話し伺いを切り上げた。

・60代女性,中央区で被災。区内の小学校に避難し,この復興住宅には入居して13年。「病気なので…」とドアを閉め,短時間のお話し伺いに。

第553回 神戸お話伺いメモ 2012/5/26 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。近くの学校に避難した後,加古川市の仮設住宅へ。仮設住宅にいたときは,駅まで歩いて20分もかかるので,しんどかった。
民間賃貸住宅を経て,この復興住宅へは竣工間もなく入居,以来13年に。まあまあ近所づきあいはある。

・70代女性,一人暮らし。兵庫区で全壊。出勤途中,高速神戸駅で地震に遭い,陥没したところや周囲から倒れてきそう建物がある道路を歩いて家まで戻った。近くの小学校の避難所に8月まで居た後,ポートアイランドの仮設住宅へ。大規模な仮設住宅で,隣の物音も筒抜けで,とくに暑さ寒さは仮設住宅の方が辛かった。仕事はポートアイランドでしていて,震災後1月ぐらい休ませてもらった後,再開した。
この復興住宅には竣工間もなく入居。住宅の北側には,高速道路が走っているほか,入居当初は貨物列車も走っており,うるさく寝られなくなった。震災前に居たところが静かだっただけに,かなり心身にこたえた。その他は特に身体の具合は悪くない。

・80代女性,一人暮らし。灘区で半壊。近くの学校に避難した後半年ほど長男宅に。夫は大工で,自分が手掛けた被災家屋の修理に忙しく,過労のためか,震災3年で亡くなった。
この復興住宅に入居して12年ほどになるが,ここにいる人とは,だんだん交流を広げている。最近,足腰が痛いが,こけたら誰かの世話にならないといけないので,何とか一人で頑張っている。

・70代女性。灘区で全壊。早朝勤務のため4時半に家を出て,震災の時は大阪の勤務先に。すぐに家に戻ろうとしたが,国道2号線を歩いて,8時間以上かかった。
大阪に1年居るなどした後,この復興住宅に入居して13年。今では近所の方とコミュニケーションを取って,カラオケを楽しんだりしている。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。東灘区の公共施設の避難所で4ヶ月過ごした。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へは竣工当初から入居。
8年前に夫を亡くし,一人暮らしに。心臓の手術をした後は,ほとんど寝て過ごしていた。
「自分で今が一番いいと納得しなくては生きていけませんね」と前向きに。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの集会所に避難した。高血圧だが,身体に合う薬を飲むようになって,今ではかなり下がってきた。普段はこむら返りがよく起こり,歩きにくくなる。
出かける前に自転車を止めて,立ち話をさせていただく。

・「ボランティアご苦労様。元気に過ごして,今日はハイキングに出かけております。」<自身で支援シートに記入>

・「全員,健康は良好です。子供(小・中学生)もだんだん慣れてきて,学校へも楽しく通っています。」<自身で支援シートに記入>

・70代女性。ドアは開いたが,体調が悪いとのことので,「今,起きていられない。ごめんなさい。」と,閉められた。

・「ちょっと忙しいので…」<インターホン越しに短い返答>

・男性。ドアは開いたが,「もういい」と,閉められた。

第552回 神戸お話伺いメモ 2012/5/12 [2012年神戸お話伺いメモ]

・40代男性,一人暮らし。須磨区で全壊。7年前にこの復興住宅へ。一緒に入居した両親は亡くなり,現在は一人暮らし。
夜の仕事をしているとのことで,訪問時は寝ており,起こしてしまって申し訳ないと思ったが,柔らかな物腰で応じてくださった。

・80代女性,一人暮らし。中央区で半壊。同区内の仮設住宅に5年程居て,この復興住宅には竣工当初から入居。70歳まで現役で働いた。
3年前に夫を亡くし,一人暮らしに。今は膝が悪く,歩行器(手押し車)で買い物に行く。玄関先の通路に出てこられてのお話し伺いに。

・50代男性。長田区で半壊。中央区の親類宅に身を寄せ,仮設住宅には入っていない。この復興住宅には,被災後かなり経ってから入居し,10年ほどになる。
60歳前で,病気とかはないが,周りは年寄りばかりなので,近所づきあいはあまりない。お休みのところ,ドアを少し開けてお話し伺いに。

・80代女性。灘区で被災。「今は血圧が高い,コレステロールが高い等,通院中。今日は用事あり。不在かも知れません。元気で何とか買物も行けます。」<自身で支援シートに記入>

・80代女性,一人暮らし。灘区で被災。本人は4月に病院で亡くなり,訪問時は遺族らが後片付けに。

・女性。「寝ているので…。」<インターホン越しにお断りに>

・来意を告げると,一旦は開けた扉を閉めてしまった。

第551回 神戸お話伺いメモ 2012/4/28 [2012年神戸お話伺いメモ]

・50代男性。東灘区で全壊。新聞配達のアルバイトをしながら大学で国際協力を専攻し,日本の企業に就職した。留学生だったときに被災し,近くの小学校に避難した後,ポートアイランドの留学生住宅に4年居た。
この復興住宅に入居して13年目。近所とはあいさつ程度の付き合い。日本人はなかなか心を開いてくれないと感じることも。それぞれの国や人々の,いいところを伸ばして,交流していけばいいのではないか。

・70代,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。同区内の幼稚園の避難所で8ヶ月,同区内の仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅へ。高血圧で寝込んでいる状態で,家の中を歩くときはフラフラしているとのことで,私たちの訪問時も時間をかけて出てこられた。
心臓のため入院したことも。夫は神経痛を患っている。たいへん優しくしてくれる。

・70代女性,一人暮らし。長田区で半壊。周囲では大きな被害に見舞われたが,奇跡的に少ない被害で済んだ。地震の揺れでテレビが布団の上に落ちてきたが,暗くて判らず,引っ張ってみたら何か重いなぁと感じたくらいだった。地震に気付かず,嘘のような気がするほどで,被災して難儀した人に申し訳ない思いがする。
8年前に90代の母を亡くして以来一人暮らし。白内障などで眼を悪くしたため辞めたが,最近まで長く洋裁で身を立ててきており,部屋には使い込まれたミシンが。今回と3年前に訪問した際の「予告チラシ」をあわせて大切に取っているなど,訪問を心待ちにされ,新たな参加者を中心とした顔ぶれで,お部屋に上げていただいてのお話し伺いに。

・60代女性。「車イス生活です。(せきずいそんしょうしている)」<自身で支援シートに記入>

・「現在はボランティア様を必要とは致しておりません。毎週,訪問リハビリを受け,毎月末,ケアマネージャーの訪問と,翌月のケアプランを行っています。必要時,ヘルパーさんも来てもらっています。」<自身で支援シートに記入>

・90代女性,一人暮らし。中央区で全壊。「地域の方に,助けられ,がんばっています。ボランティア見回り,デイサービス,ショートステイ,ヘルパーさまなどに,介護されています。家族が週末見てくれます。」<自身で支援シートに記入>

[今年の週末ボランティアの総会は、6月23日(土)に、訪問終了後の午後5時~7時、同じ神戸市勤労会館の701会議室にて行います。普段おいでになれない方も大勢参加して下さい。]                              以上

第550回 神戸お話伺いメモ 2012/4/14 [2012年神戸お話伺いメモ]

・60代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で3年7ヶ月過ごした後,この復興住宅へ入居して13年目。
夫(60代)は,糖尿病を患っており,体調が悪い。隣近所との付き合いはあまりない。市営住宅であるこの棟には自治会がないが,共益費は家賃とともに支払っている。

・女性,灘区で全壊。インターホンを鳴らすと,すぐに出てきたのは,無邪気な笑顔が可愛い,小さな女の子。続いて,未知の訪問者にたいして無防備にドアを開けたことをたしなめつつ,母親である若い女性が「母(少女の祖母)は元気です」と。
短いやりとりの中でも,少しは信頼関係が出来たのか,別れ際に少女がバイバイをしてくれた。

・60代男性,東灘区で全壊。被災以来長年の労苦のためであろうか,体調は思わしくなく,ストレスも高じている模様。そうした現状への憤懣や不安な気持ちを,誰かに向けたかったのであろう。
私たちの訪問においても,うかがう内容を正確に理解することも必要だが,そうした気持ちをぶつけてもらって受け止めることが,「心のケア」の基本であり,対話の出発点となるものであることを,改めて学ぶ機会となった。

・50代女性,中央区で全壊。文化住宅で被災し,仮設住宅になかなか当たらず,遠方への避難を余儀なくされた。借金返済のために,大阪府南部の仮設住宅から遠距離通勤しながら,百貨店での催事販売の仕事を続けた。
そうした無理がたたったのか,透析が必要とされる寸前まで,腎臓が悪化していた。体調が悪くなったとき,救急車を呼んで待つより早いと,自転車で病院の救急受付に駆け込んだことも。この日も貧血気味でしんどく,用事を切り上げて帰ってきた。訪問予定のお宅を順次訪ねた際はお留守だったが,帰宅されたのを見て再訪問し,玄関口でのお話し伺いに。
しんどいと座り込みながらも,ほとんど初参加のメンバーを前に,30分近くにわたって話し続けた。

・50代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。2階建てアパートの2階に居住,1階は全滅。「加齢の影響が一昨年より出現しました…95年を境に人生観・価値観が全く劇的に変わり,生きてる喜び,実感,将来を見つめる視点が失われました。人との交流が苦手になり…閉じこもりがちになりました…欲しいものや目標がなくなりました。
過去17年を振り返ると,避難所時代以外,記憶に残るものがありません…このインターネットの時代,スマホの時代に,インプットがほとんどなくなり,それでも平凡に生きています。震災後の苦労はありません…」<自身で支援シート一面にぎっしり記入>

・60代。「あなたたちのことは,よくわかっています。元気でやっています。」<インターホン越しに簡単なお話し伺い>

第549回 神戸お話伺いメモ 2012/3/24 [2012年神戸お話伺いメモ]

・40代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅で4年過ごした。
数年前に脳梗塞で倒れ,療養施設で2年過ごした。年来の糖尿病もすすみ,半身不随となって,車いす生活。薬はちゃんと飲んでいる。成人・独立した娘(20代)が近くに住んでいるが,あまり訪ねてこない。
毎日,交替でヘルパーに来てもらって日常生活を送っており,私たちボランティアが訪問した際も,ヘルパーの助けを得ての応対だった。赤いマニキュアが印象に。

・30代男性。兵庫区で全壊。近くの学校に避難した後,父の会社の寮で避難生活を送り,仮設住宅には入っていない。被災当時は高校生だった。
飼っていた小鳥が,いつも早朝に鳴いていたのに,その日だけ鳴かなかったのを不思議に思ったことを覚えている。自分は大丈夫だったが,周囲には,震災のため就職や進学に影響が出た人も。長く派遣でいろいろなところで仕事をしてきた。なかなか採用されないところにもチャレンジして採用されたこともあったことで,前向きに明るくなれた感じ。
東日本大震災の後,一時は鬱のようにもなったが,宮城県の知人に何度も電話して無事を確認したり,水を送ったりする支援をした。

・「手が離せないが,元気です。」<インターホン越しに簡単な応答>

・「うちの人に聞いたら,何も用事がないとのことなので結構です。」<インターホン越しに簡単な応答>

・単車で出かけるところだったので,あいさつ程度のお話し伺い。

第548回 神戸お話伺いメモ 2012/3/10 [2012年神戸お話伺いメモ]

・40代男性,母(60代)と暮らす。須磨区で全壊。家族はみな無事だった。自宅は取り壊すことになり,母宅(中央区で半壊)へ一時身を寄せた。
この復興住宅へ入居して4年。自身は隣近所とあいさつする程度だが,母は上や下の階の人ともよく話している。きょうだいらも時々訪ねてくるので,母は寂しくないようだ。献血をよくする。何かの役に立っているかも。東日本大震災のことは,気の毒で,たいへん心が痛む。

・70代女性,一人暮らし。長田区で全壊。築数十年の古い借家で被災。襖などが倒れてきた下に埋まり,夫と交替で助けを呼び続けた。垂水区へ避難。避難生活は不自由なかった。家族とも無事で,母は90歳以上の天寿を全うした。
この復興住宅へ入居して13年。夫を此処で亡くし七回忌を迎える。離れて暮らす息子さんからのバースデーカード,長く交流を続けている香川県の高校生からのプレゼントや一緒に撮った写真などを見せてもらった。
長く地域で被災者支援に携わっている教員の指導のもと,大学生も訪れている。私たちも参加者全員でおじゃまさせていただいてのお話し伺いと交流に。

・80代男性,一人暮らし。灘区で全壊。「現在のところ私は見守り推進員ボランティアの訪問などを受けており,特に困ったこともありません。国が悪いのか,そういう世の中が悪いのか,私にも悪いところがあったのか。私には何も分かりません。成るようにしか成らないというのが,私の本音なのかもしれません。人に頼らず,自分で行けるところまで行ってみます。どうも有難うございました。」<自身で支援シートに記入>

・70代。中央区で全壊。「現在はまだ生活の為仕事をやっていますので今のところは特になにもありません。御苦労様でした。」<自身で支援シートに記入>

・70代女性。今から医師が往診に来るので待っている。話すのは苦手なので勘弁してほしい。脳梗塞をやったので気をつけている。

・今,病院から帰ってきたところ。<インターホン越しに簡単な応答>

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