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第604回 神戸お話伺いメモ 2014/7/26 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人3名を加えて参加者9名でした。

・60代女性。元気にしていますから、大丈夫ですとご返事。安否のみ。

・70代女性。尼崎市で被災。全壊。入居13年。「電車を待っていたら、電車がなかなか来ないのでホームのそばのトイレにいたら、地震がきた。トイレをはって出た。電車にもし乗っていたら、死んでいたかもしれない。
家に帰る途中、豊中の方が真っ赤になっていた。新しい家がたくさんなくなっていた。今、二人暮らし」とシートに書かれていた。
会って聞くとご主人は今入院中。ご自身は骨折で、風の強い日などは転倒されるそうです。訪問時も車椅子に座ってお話しされた。お二人ともご病気なので、治療費、病院通いでお金がかかり、大変だと言われていた。買い物はデイサービスを利用されている。占い師に生年月日を見てもらうと、男なら社長、女性なら・・・びっくりして寝込んだと話してくださった。ここでは、話し合いが少ない。土曜日は学生と集会所で遊ぶのが楽しみ。折り紙を折るのが得意だそうです。鶴を紅白で折られる。
訪問者の感想「思いのままに話された。聞いてくれる人があるのが、うれしそうでした。楽しい様子で話してくださりお話し好きで、震災の時から、ご主人の話までいろいろとはなされたすてきな女性でした。」

・50代女性。「元気です」と安否のみ。

・70代女性。封筒に入れた支援シートがドアに張ってあった。「入居1年。10年前に転居してきた。現在のところ、大丈夫です。ありがとうございます」と書いてあった。ドアに、お礼のメモを入れておきました。

・女性。インターホン越しに「元気です」と安否のみ。

・60代男性。ドアを開けて、「話はない」とのこと。

・留守番の女性が出てこられ、今病院に行っていますとのこと。

・女性。インターホン越しに「ご苦労さん」と言って切れた。 

訪問者の感想「暑い日だったので、ドアを半開きにしている家が多かったが、長話はしたくないような人がたくさんおられた」

以上

第603回 神戸お話伺いメモ 2014/7/12 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした

・60代男性。須磨区で被災。全焼。入居15年。一人暮らし。ポーアイの仮設に4年、その後ここに入居。病院には行っていない。船に生コンのプラントを運ぶ仕事だった。何の補償も受けておらず、一万円ほどの家賃だから生活していける。淋しいと思うこともあるが、ずっと一人がいいと言われていた。しかし、最近、実家の誰彼が恋しいと思うのは、死が近いのかとか言っておられた。自分が仏壇を預かっているので、盆と正月はここに皆が集まってくれる。生活が苦しいから、新聞は隅々まで読んで、本は図書館で借りている。ほとんど歩いてどこにでも行っている。車での仕事だったので、足が弱らないように7階から歩いて上がり下がりをしている。「インターホンを押して言葉をかけて欲しい」と言われ、初めその言葉が訝しげだったが、予告チラシを入れる時のことであることがあとでわかった。だんだんと打ち解けて最後は、訪問者を1人づつ観察していた。話しが大好きな人とお見受けした。

・70代女性。中央区で被災。全壊。15年前に脳腫瘍の15時間の手術をし、余命6ヶ月と言われた。人の手を借りて一歩ずつ前に進んでいった。訪問者の感想「いろんなことがあったが、全てを前向きに考えていて、明るく生きなければ、と自分自身の背中を押し続けているような勢いを感じた」

・70代女性。垂水区で被災。水道はOKだったが、電気、ガスは一ヶ月半ほど待った。入居5年。神戸で生まれ、ずっと神戸。5年前から一人暮らし。娘は三人、県内に暮らしているが、ほどよく訪ねてくれる。元気で頑張りたいので、ウォーキングなどで体を鍛えている。40年前に離婚。今は年金暮らしで新聞もとれない。誰ともしゃべれない日もある。NHKの受信料は何回も職員がきて、いやいやながら契約してしまったとおっしゃった。訪問者の感想「近くに信頼できて、金銭関係のない相談相手がいると楽に生活できるのではないかと思いました。日々を緊張しながら、暮らしを立てているようでした。お年より若くみえて、あっけらかんとした感じだった。お肌もきれいで。若々しい感じで元気そうだった」

・80代女性。西宮市で被災。全壊。体育館で避難生活。姫路出身。22才で結婚し、西宮に住んでいた。10年前にご主人が亡くなった。車いすで週に3回、デイサービスに行っている。この日も帰ってきたばかりで、疲れているので横になると言われたのでおいとました。最初、20才のお孫さん(男性)が応対してくださった。このお孫さんが西宮から2、30分かけて自転車でほぼ毎晩泊まりに来て、翌朝自宅に戻り、専門学校に通っているとのこと。途中で車椅子に乗って出てきて、話を伺えた。

・70代男性。兵庫区で被災。チラッと会って、迷惑そうな表情で質問に答えてくれる。しあわせの村に避難する。15年前に入居。当時より糖尿病に罹(かか)り、20年近く診療が続く。訪問者の感想「長患いの体だったようです。」

・60代女性。室内車椅子、外出は電動車椅子。割と淡々と話してくださったが、疲れが出て後に支障をきたしてもいけないと思い、お顔の元気な様子を見せていただき、お大事にといって失礼しました。

 新人の感想、訪問の成果は「満足」、感想は「お話しした方は、話が止まらないようで、話を聞いてあげる事は本当に大切な事だと思いました。被災者同士でも集まって、おしゃべりできる機会を設けられたらよいのになぁ、と思いました」

以上

第602回 神戸お話伺いメモ 2014/6/28 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は新人1名を含めて参加者6名でした

・53才、男性。東灘区で被災。文化住宅が全壊。4月にポーアイの仮設に入居。その後、ここに入居16年。最初留守だったが、帰ってきたとのことだったが、快く応じてくださった。「2階建ての文化で、両方に出口があって皆無事だった。向かいのアパートは横倒しになり、お年寄りが三人亡くなった」と話してくださった。近くから火が出て、火事場泥棒が多かったそうです。今は一人暮らし。食事は自分で作られている。昔、パン職人だった。中学を出て、職業は自衛隊、パン屋、洋菓子店などいろいろと経験されている。重たい荷物を持ちすぎて背骨が圧迫骨折し、腰痛があり好きな釣りも出来なくなった、とおっしゃっていた。玄関には釣りの道具が並んでいた。仮設の時にはよく釣りに行っていたそうだ。以前、育児障害者のボランティアもされ、ボランティア登録もされている。趣味は、テレビを見ることと釣り。元気そうに見えたが、糖尿や睡眠時無呼吸症候群、喘息など。白内障で手術もされている。父は14年前に91歳で亡くなり、弟は14年前に交通事故で亡くなった。犯人は捕まったが、ひき逃げを自殺に間違われたそうだ。
 訪問者の感想「話すのが楽しそうだった」「人は淋しいとよく話してくださいます」

・40代女性。留守シートを入れようとした時に、買い物から帰ってこられ、買い物袋を持ったまま廊下で話を聞いた。長田区と伊丹で被災、全壊。県外にいたのでなかなか当たらず、ここに入居して2年。主人は身体障害者4級。6年生の子供。駐車場が高い(月に2万円)何とかして欲しい、と嘆いていらした。障害者だからといろんな部署に訴えても管轄が違うと受け付けてもらえなかった。設置者の県、市、URで家賃が違う。今では、震災と無関係の家賃になっている。住民の声が届きにくい。訪問者の感想「正確に記録する難しさを痛感」「気さくなお話になった」

・60代女性。西宮で全壊。大阪に引っ越していたのでなかなか当たらず、6年前にやっとここに入居。足を少し痛めただけで、元気にしていますといわれた。訪問者の感想「声だけは40代でした」

・80代女性。初めはインタホン越しだったが、後で出てきてくださった。中央区被災。今も診療所に行っている。食が細くなったと言われた。離聴なので、側で話をしてもらうと分かる。お元気な様子だった。

・男性。「今、急ぎの仕事をしていて手が離せない、ご苦労様」と言ってくださいました。

・50代女性。灘区で被災。全壊。地震では怪我はなかった。入居16年。親子三人で住んでいる。仮設に入らず、2人の子供と共に実家にいました、主人は一人で住み、今では子供も1人は社会人です、とお話された。お元気な様子です。

・70代女性。長田区で被災。全壊。神社の近くで被災。中学に5ヶ月ほど避難していた。その後、加古川の仮設に2年、垂水に13年、ここへは最近入居した。九州へ嫁に行く。建築の金物の卸を25年ほどするが倒産した。小学5年の時に終戦。10歳であめの製造の手伝いをする。13歳から靴工場の貼工(はりこ)として働く。近頃はストレスがたまり、耳が遠くなるとおっしゃっていた。難聴気味であった。

・70代男性。中央区で被災全壊。入居15年。25分の訪問。5ヶ月間暮す。震災後、3日間だけ小学校に避難する。その後、ポーアイの仮設で暮らす。

初参加者の感想「訪問の成果はやや満足。留守宅(返事なし)が多かった。訪問を歓迎なさる人もあるようだ。体力、気力、対話力の必要を痛感しました」 

以上

第601回 神戸お話伺いメモ 2014/6/14 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者9名でした

・80代女性。須磨区で被災。全壊。震災後、阪神沿線、東灘区、そしてここに12年前に入居。「よく通る声ですね」と尋ねると、詩吟の師匠とか。今もお友達が来ていて、教えていると言われた。一人暮らし。ヘルパーさんが来てくれている。娘さんもよく来てくれ、いろんな方が来てくれるのでお元気な様子だった。声を出すのはいいですね、と声を掛けると、「好きだから」と答えられた。足腰が弱っているが、気持ちだけは元気にされている様子だった。話の中で「いいお婿さん探してくれない。茶飲み友達を・・・・」と言われたのが印象的だった。「まだ1年、2年は生きてみたいな。その間によい人を探したいね」と元気なご様子でした。

・30代女性。明石で被災。本人も親戚も被害なし。10年前に入居。子供四人とご主人の6人暮らし。5歳の次女が一緒に出てきた。揺れた瞬間は寝ていたとのこと。幸せに暮している様子だった。

・25歳男性。加古川で被災。本人は被害なし。被災された時のことを教えて欲しいと訪意を告げると、「よいですよ」と気さくに返事され、話してくれた。地震の時は加古川で5歳だった。当時のことはよく覚えており、崩れそうになったタンスを母が支えている場面で自分が起きたこと、祖母から聞いたことなどを話してくれた。母方の祖父母が長田区に住んでおり、三階建て9戸の集合住宅で一階部分が半分つぶれ、その部屋の人は遺体の確認もできないくらいだったそうだ。祖母は当時、花屋をしており、花の仕入れの帰りに地震があり、目の前の高速道路が崩れ、家も店も近くのだ菓子屋さんも崩れたことを覚えているそうだ。祖母から聞いて今でもはっきりと覚えている。祖母の友達の息子さん(当時27、8歳)はトラックの運転手をしており、トラックごと高速道路につぶされ、遺体は寄合所に届いた。東日本大震災について何か思うことはないかと問いかけると、「自分自身でやれることはあまりないと思う。県や市がもっと何かできるのではないかと思う」「自然現象でどうしようもない」と答えられた。
 訪問者の感想「若い男性だが、率直で聞いたことによく答えてくださり好感が持てた」「震災後5年や10年ではここまで話が出来なかったのではないか。震災20年目にして初めて話ができた内容だと思います。多分、おばあちゃんから聞いたことですが、よくここまで鮮明に覚えているかと驚いた」

・70代男性。中央区のマンションで被災。全壊。部屋に全員があがりこんで、30分ほどのお話伺い。東灘区の仮設に2、3年いて、その後ここに入居。奥さんは20数年前に亡くなる。息子さんがポートアイランドのマンション、娘さんが姫路に住んでいる。一人暮らしだが、よく来てくれるので淋しくない。2歳の時から左足が小児麻痺で足がご不自由。今でもギブスをされている。紳士服の仕立てをしていた。中学を出て丁稚奉公、ずっとこの道一筋でやってきた。神戸で生まれ育った。血圧が高いので薬を飲んでいる。食事が一番大変。たまに弁当だが、自分でも作り、買い物は週に2、3回、原付バイクで行く。住宅での付き合いはエレベータ等で会った時に挨拶程度。趣味は映画で、金曜ロードショウが好き。ビデオの鑑賞も。100万円ほど投資した。
 訪問者の感想「上がらせていただき、生き生きとした表情でお話を聞けました」「きちんと生活されている様子で、室内も整頓されていた。穏やかに話をされていた」

・70代男性。ドアを開けて断られる。安否のみ。
・インターホン越しに「忙しいので」と断られる。
・女性。「取り込み中なので」と断られる。

・70代男性。中央区で被災。全壊。自転車で帰ってこられたところ。小学校で避難生活、ポーアイ仮設、そして15年前に入居。なかなか当たらず、通常の入居から少し遅れて7月に入居。近くの病院に通院。自転車で買い物に行き、自分で食事の用意もしている。はきはきした元気な方だった。

・70代男性。ドアが開いたが、寝ていたと言われ、すぐに閉まった。

・70代男性。ドアが開き、支援シートを渡されたが話もできた。支援シートには16日の署名「神戸で被災。(被災状況は)特に医療費が月に1万5千円かかる。健康状態が心配、頭のフラツキ気分が悪く、腰痛み強い。両肘のシビレ強く両肩の痛み強い」。兵庫区で被災。半壊。元気だと言われたが、昨日も医者に行っていたと言われた。腰痛、両肩の痛、シビレ等。一人暮らし。若いころから浜で仕事をしていた。震災後は、岸壁の瓦礫の撤去の仕事をした。その後、神戸の浜で仕事がなくなり、大阪へ仕事に行く。自分で買い物。支援は何もいらない、と語ってくれた。

・50代男性。入居14年。15分の訪問。永住権を得て、子供一人、奥さんと三人暮らし。震災の年に日本に来て、4月から大阪大学に入学。専攻は経済学。今は大阪の携帯電話の会社に就職。震災の時いろんな人に助けてもらい、自分も人の支えになりたいと思っている。子供にもそう言っている。東北の震災があった時、自分も義捐金を送った。訪問者の感想「自分の価値観できちっと生活されておられると感じた」

・50代女性。中央区で被災。大きな建物の裏の団地だったが、中はぐちゃぐちゃ。会社関係の家に入居。5年前に入居。土日の午後11時ころに暴走族がうるさい。生活はとても不便。足が悪く、脳に障害があり、発作があるので電動車いすを使用されている。 訪問者の感想「外で話をしたが、しっかりされている様子が見られ、気持ちが張っているように見受けられた」

以上

第600回 神戸お話伺いメモ 2014/5/24 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者9名でした

・60代男性。「熱を出して休んでいる」との返事。

・70代女性。病院に行くとこ、と言われお話は出来なかった。

・70代女性。東灘区で被災。全壊。入居11年。先々週の「訪問予告チラシ」を見て、今か今かと二時から待っておられたが、ちょっと出られて行き違いとなり、再度訪問して会えた。2階に住んでおられたが、1階の母子家庭の一人が亡くなった。すぐに近くの「幼稚園」に避難し、10ヶ月ほどいた。追い立てられるようにして、知人の大阪の1Kのマンションに4年ほど住んでいた。そして8回目でやっとここが当たり、住んで11年になる。ご主人は3年前に亡くなり、子供がいなかったので、とても寂しく、しばらくは無気力な日々を過ごされ、最近やっと元気になられたそうだ。気が緩んだのか、3ヶ月前に椅子から落ちて、背中を圧迫骨折されたとおっしゃった。若い頃から洋裁をやられており、これが癒しになっているそうです。初めはいやいやと言われていたが、打ち解けて話を聞けて、開放的に話をして頂けた。訪問者の感想「なんでもご主人にしてもらっていたとか・・・」

・70代女性2人、から話を聞く。廊下が広く各フロアに談話室があるが、今は1階の談話室だけしか使っていない。贅沢な設計だか使い勝手が悪い。水道メーターも各フロアにあり、料金が割高になっている。6個のメーターにそれぞれ基本料金がつく。セントラルヒーティングでセキュリティも手が込んでいる。12時間水を使わないとブザーが鳴り、2時間水が流れるとブザーが鳴る。ある入居者が紙おむつをし、ビールを飲んでいて、トイレも水も使わなかったので、警備の人が飛んできたこともあった。管理費が月に3千円。空き室がある分、高くなっている。半分ほどが新しい入居者。入居5年の人がもう古いほうに入っている。何人かが集まっていろいろ話をすることがある。最近も元気のない人を励ましたという。入り口のかぎが壊れている。多くの話を聞いたが自立が基本とのことで、同感の事がおおく、たいへん頼もしく感じた。              

以上

第599回 神戸お話伺いメモ 2014/5/10 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした

・60代女性、「元気です」と返答あり。

・70代女性。中央区で被災、全壊。震災では鼻を骨折。「思い出したくないので、これ以上話したくない」とドアホン越しに言われた。今は年金生活。元気そうでした。

・80代男性。ドアホン越しに「買い物帰りで疲れて、今横になっている。元気です」と言われた。お元気そうでした。

・70代女性。入居15年。灘区で被災し、全壊。当時、姉や姉の子供、母など6人で暮していた。震災の時、近くのお寺から爆弾が落ちたような音が聞こえ、崩れ落ちた。姉と二人で灘警察署に避難した。その後、中学校に5ヶ月間避難した。その後、この住宅に入居。5人姉妹の末っ子。2年位前、同居していた2番目の姉が突然部屋で亡くなった。姉3人は中国からの引き揚げ。昭和30年に広島から明石に来て、銭湯を経営されていたが、2年後詐欺にあい、廃業された。姉は広島、次姉は尼崎に住んでいる。ご自身も広島のご出身で、こどもの時に被爆し、ピカッ、ドーンと聞こえた。原爆の音と光線の記憶ははっきりと覚えているとおっしゃっていた。広島に墓があるので時々、墓参りに行かれる。ボケ防止に散歩したり、テレビの懸賞にも応募されているそうだ。週に2回、ヒザの治療に通院している。友達はいないが、姉たちとの交流は続いている。毎日、身の回りのことは自分でしている。三宮まで歩いて買い物に行かれる。今は一人暮らしで、月に4、5回ほど姪ごさんが尋ねてきて、今日も今から出かけるところだとおっしゃっていた。ここの住宅はとても良い建物ですが高齢者が多く、子供がいないので淋しいです、と言われた。震災の補助があるので家賃は安い。
訪問者の感想「お話しが聞けて、癒されました」「若々しい人でした」。「独身で生きてこられたので、肌がきれいだと思った」。

・80代男性。兵庫区で被災。

・70代女性。「今から人が来るので、ごめんなさい」とのこと。

・男性。「今、大事なことをしていて、手が離されない。明日にでも来てくれ」と言われた

・男性。「話はいいです。ありません」

以上

第598回 神戸お話伺いメモ 2014/4/26 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした

・70代女性。兵庫区で被災。一部損壊。部屋にあげてもらいお話を聞く。現在は一人暮らし。震災当時、ご両親、弟さんと四人暮し。弟家族は現在、長田区で世帯を持っている。ご両親はお亡くなっている。ご仏壇にお母さんらしき人の写真があった。旧満州のお生まれ。家族で引き揚げてこられた。軽い認知症か、話が少々ちぐはぐしておられた。長らく美容の会社の経理をされていた。膝が悪く、動作がゆっくりしていた。草木の鉢植えを育てられ、テーブルにも花瓶の花がきれいに飾られていた(アイリスなど)。お買い物は近所の市場に行かれ、不自由はないとのこと。ヘルパーさんが来ているが話し相手程度。病院の院長さんも話し相手だと言われていた。友達もたくさんいて、あまり話すこともないが、と言われていた。

・70代女性。中央区で被災。半壊。公園で避難し、田舎に引っ越したり、半壊の家が住み続けることが出来たのでそこにいたり、3年前にやっとここを当てました、と言われた。家に関して、家の保障をしてくださったので、ここまで出来て幸運でした、と言われた。「お元気そうですね」と言うと、体操教室に通っていますとのこと。2、3年前に指の先を切ったので週2回リハビリに通い、病院は近くだそうです。70歳には見えず、お若く、生き生きと過ごしてられるようでした。訪問者の感想「お年をきれいに取られてました」。

・70代女性。ドアを開けてくださったが、「元気ですよ」と言われて部屋の中に入って行かれた。

・20代女性。留守だったが、エレベーターの中で会って「家族もみんな、元気ですよ」と言われた。

・70代男性。耳が遠くて、なかなかお話が通じなかった。灘区で全壊だったことなどは聞けた。

・50代女性。灘区で被災。一部損壊。5年前に入居。ご主人は3年前に癌で亡くなった。仕事は学校給食のパート。週3回、米飯、2回パン。米飯が増えているとのこと。東灘区の小学校に勤務。朝、7時に出勤し、土日祭日が休みでわずかの給料だが、頑張っているとおっしゃった。若くはつらつとした方だった。社会生活は順調のようだった。来客中だったが、快くお話してくださった。   

以上

第597回 神戸お話伺いメモ 2014/4/12 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした

・80代女性。宝塚市で被災。中国から54歳の時に帰国。中国生まれで、18歳の時に終戦。両親と妹2人は戦後、引き揚げ。両親は広島出身。妹2人は他に在住。父は建築技師。日本人の許婚がいたが、27歳の時に見合い結婚。夫は中国人で26歳。お子さんは四人。震災後、西区の次女の所に住む。ゆっくりと長いお話を聞く。

・70代女性。東灘区で被災。全壊。3時間生き埋めになったが、甥が助けてくれた。中学校で避難生活。ご主人が平成20年に亡くなり、今年7回忌。昭和57年に脳腫瘍を発症。病院食の調理の仕事をしていたので、今でも自分で食事の仕度はしている。現在、自治会の仕事をしている。今日も家に関係者が来ていた。生活保護の方が生活が楽というのは納得がいかない。一日2500円の費用でやるのはしんどい。などと様様に聞く。

・70代女性。ご主人が若い。灘区で被災。一部損壊。入居6年。入居は震災関係ではなく、再婚したので、元のところに住めるが、安価なところを探して、ここが当たった。一般入居。お互いに子供二人連れての再婚なので大変だったが、夫の子供が結婚し、今は気楽に暮しているとおっしゃっていた。娘時代に習ったお茶(表千家)とお花(未生流)を高齢者のところへ週に3回、指導に行っていると言われ、元気そうだった。友愛訪問で2人の方を安否確認で訪問されている。

・80代女性、ご主人が70代。灘区で被災。入居15年。娘が西区、息子が灘区。

・80代男性。奥さんは70代で圧迫骨折で認知症。週2回、9時から5時までデイサービス。「病人を抱えています」とおっしゃっておられた。

以上

第596回 神戸お話伺いメモ 2014/3/22 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者5名でした。

・40代男性。書き込みした支援シートを出してきて、返事があった。支援シートには「灘区で被災、全壊。家族4人で生活しています。皆、元気で居ます。特別、相談したい事や困った事はありません」と書いてありました。

・70代女性。東灘区で被災。全壊。入居16年。20分の訪問。地震の直後、近所のお寺に避難する。垂水区の仮設に4年いた。3年ほど前から、背骨の狭さく症で急激に腰が悪くなった。今は杖で歩いている。近所の付き合いはいいほうですと言われた。出来れば、重い荷物があった時に上げ下ろしをして下さったら助かります、と依頼される。今は、ないそうです。子供たちが県外にいるので、なかなか頼めないと言ってられました。コープで宅配をしてもらっているそうです。
訪問者の感想「少し疲れてられる様でした」

・70代男性。インターホン越しに「疲れて横になっている」との事でした。元気を確認。

・小学生の男の子がドアを開けて話をする。4人住まい。震災ではおじいちゃんが大変だったそうです。3分ほどの訪問。訪問者の感想「傾聴ボランティアへの不信感を取り除くような話し方をしました」

・60代女性。ドアを開けられたが、何もわからないと言って閉められた。

・60代男性。「家のものはいない。留守番をしているだけ」と言われた。

・40代女性。「今から出かけるので、ごめんなさい」との事。

・70代女性。「よろしいです」

・20代男性。震災は知らないとの事。今、1歳の赤ちゃんの面倒をみているので話が出来ないとのこと。3分ほどの訪問。最近、引越しされてきた。玄関前には、子供用のスケートボード、一輪車等たくさん置いてあった。

・80代男性。長田区で被災。全焼。入居16年。10分の訪問。奥さんが震災時に亡くなった。娘さんが四国に居る。一人暮らし。初めはインターホン越しだったが、ドアを開けて話が出来た。震災後、県外にしばらくいて、ポーアイの仮設に4年いた。その時、某ボランティアと知り合いになる。仮設時の知り合いが毎年、おせちを持ってきてくれる。LSA室の職員が週3回、来てくれる。足が少々悪いが元気との事。足が悪いので近所を散歩するぐらいしかすることがないと言われていた。

・80才女性。須磨区で被災。全壊。30分の訪問。入居5年。神社前で震災にあう。避難所には行かず、ちかくに長男が居たのでそこでしばらく暮す。友人が他県にいたのでそこで何回も市営住宅を申し込み、やっと5年前にここに入居できた。ご主人は震災前に亡くなっており、震災時は一人暮らし。今でも須磨の商店街が懐かしく、今日も行って帰ってきたところですと言われ、5人全員が部屋にあげてもらった。耳が不自由で10年前から補聴器を装着されている。病気は糖尿病、ヒザ痛、ヘルペスなど。60代70代にしか見えず、80才と聞いて全員が声を出して驚いた。なるべく早めに病院に行くこと、動くことに気をつけているとおっしゃっていた。肌の色艶もよく、声にも張りがあり、とても健康そうな様子でした。神戸に来て、はっきり物事を言うようになったそうです。お子さんは他市に娘さんがいるが、ご主人が半身不随でほとんどこれないとのこと。「ボケ防止」の為に本を読んでられるそうです。広島で原爆にあわれた。30キロ圏内だったが、友人、知人、親戚を探して市内を歩き回ったので、2次感染した(入市被爆)。被爆して10年後に被爆手帳をもらう。

以上

第595回 神戸お話伺いメモ 2014/3/8 [2014年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした。

・女性70代。一人暮らし。入居14年。中央区で被災。室内に入れていただいて、40分の訪問。文化住宅の1階に住んでいいたが、全壊。しばらく家具の中に埋もれていたが、運よく頭が出ていて、命は助かった。体の自由がきくようになったので外に出た。40代のときにご主人を亡くされた。震災当時、病院の調理士をされていて、近くの病院の使っていない部屋を借りた。お子さんが2人、お孫さんが4人。兄姉は4人、3人がなくなって淋しいと言われ、弟さんがアスベストで入院され、1年間毎日弁当を届けておられたそうです。姉は交通事故で亡くなった。今は、お孫さん達が時々来てくれるので、楽しみですと言われていた。震災の時、いつもより早く起きていて、寝巻き一枚だったので、近所の人の部屋から服を出してもらった。息子さんが家までバイクで来てくれ、乗せてもらい無事だった息子さんの家まで乗せてもらった、恐ろしい思い出として消えません、とお話された。とても明るい方でした。
訪問者の感想「ありがとう。お茶をいただいて」「室内に入れてもらい、暖かく助かった」

・男性60代。中央区で被災。全壊。下の4人が死亡。一人暮らし。平成12年に妻子ともども離別。現在、生活保護受給。以前は土方、解体業で働く。癌を発症、入院して診察。腎肺(左)。鼻炎。難聴、中耳炎か。全入れ歯。震災の影響がある。アスベストの影響か。2ヶ月に1回皮膚科で診察。食事はマーケットで外食。南方のご出身。姉、兄は亡くなっている。

・女性70代。ご主人も。長田区で被災。全壊。入居1年。15分の訪問。以前、公団にいて、昨年2月に引っ越してきた。ご主人は3年前からパーキンソン病。ご本人は足を手術し、金属が入っている。現在、リハビリ中とのこと。電動車椅子がご主人の足代わりで、買い物も荷物はご主人がもって帰ってくださるそうです。お子さんは2人(娘、息子)で、お孫さんが4人。やっとここにも慣れたとおっしゃっていました。

・70代女性。東灘区で被災。全壊。実家が近所だったので、仮設も避難所にも行っていない。6年前にご主人が亡くなられ、一人暮らし。近くにお子さんがいる。お元気でした。ドアを開けて対応された。

・70代男性。一人暮らし。中央区で被災。全壊。入居15年。15分の訪問。4歳の時、空襲で母の背に負われて逃げ迷い、右の頭部側に焼夷弾(しょういだん)を受け、片目を失った。火傷を負い、ケロイドが残っていた。母は93歳で亡くなり、自分は3年前に脳梗塞を患ったが、今ではすっかり元気ですと、両手、両足を振ってくださった。右の顔面にシビレがある。食事は自分で作っているそうです。若い時は兄の仕事を手伝っていた。「何かをあきらめた感じを受けました」。

・60代男性。中央区で被災。入居1年。北区の仮設に2年。その後ポーアイの借り上げ住宅(3DK)に入居。昨年12月に引っ越してきた。現在、1DK。まだ荷物をほどいていない分があるとのこと。昨年で退職。介護ヘルパーをしていた。心臓にステントを入れている。若い時は建設業で働いていた。去年までボランティアをしていた。「私たちの仲間になりませんか」と声をかけました。きれいなノレンがかかっていました。自炊をしているが、買い物が遠いとのこと。ここでは一番若い。これからもボランティアを考えてみるとのこと。訪問者の感想「引っ越した部屋が狭そうでした」

以上
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