第566回 神戸お話伺いメモ 2012/12/8 [2012年神戸お話伺いメモ]

 前回の訪問は、参加者5名でした。
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 新年の行事予定のお知らせ
2013年1月12日(第2土曜日)午後2時~5時、神戸市勤労会館(JR三の宮の東南へ徒歩5分)306会議室にて、「阪神・淡路大震災18年目の週末ボランティアの会」を催します。                 
過去の活動を振り返ってこれからの在り方を考えると共に、犠牲になった多くの被災者の霊を慰めたいと思います。ぜひおいで下さいますよう、ご案内を申し上げます。
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・70代女性,灘区で全焼。近所一帯は激しく燃え,もらい火で自宅を失った。いったん知人のマンションに行ったが,そこも全壊扱いとなり避難所へ。近くの中学校の音楽室で1年近くを過ごした。同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して15年目。この部屋は借り上げ復興住宅なので,移転先の市営住宅の募集に申し込んだが,抽選に外れた。これからのことを考えると…。ボランティア活動の経験もあり,今もヘルパーとして働いているとのことで,お元気そう。訪問時は,補修工事のため,ベランダに置いている植木を玄関前に移動させていたものを,戻し始めていたところだった。それらの多くは,お世話していた利用者が,自分で育てられなくなったものを引き取ったり形見にもらったりしたもので,中にはご自身より若い人も。このときかぶっていたベレー帽も友人の形見。翌日に予定されていた神戸マラソンの話題になり,ハイタッチをして別れた。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全焼。近くの小学校に避難した後,六甲アイランドの仮設住宅へ。出かけるのに六甲ライナーの高い運賃が大変だったが,神戸市はそれにたいして何もしてくれなかった。被災当時はまだ若く優先されなかったため,やっとのことで入ったこの部屋は借り上げ復興住宅。一人暮らしとなった今では,URと直接契約して住み続けるのは大変。市営住宅の移転先を申し込んだが抽選に外れた。空いていて入りやすいところは山の方とか奥の方とかばっかりで…。足が不自由で,インターホンが押されてから出てくるまでに時間がかかるので,訪問者は留守だと思って去ってしまい,呼び止めても気付いてくれないことが多い。

・50代男性。尼崎市で全壊。両親と住んでいたため仮設住宅には入居せず,近くに家を借りた。両親は亡くなり,12年前に結婚し,この復興住宅へ。入居したばかりの頃,同じ階の人たちと話したが,今ではほとんどが転居してしまった。病気で足が不自由になり,車いすを使用。2人の子どもは学齢期の育ち盛り。神戸市が,借り上げ復興住宅の住人に出て行けと言っているのはよくない,新たに住宅を建設すべきであった,今更期限を突きつけるのは酷いと、心根の優しい人でした。

・50代女性,夫婦2人暮らし。兵庫区で被災。半壊と判定されたが解体された。被災後すぐに大阪に引っ越した。旧公団と直接契約して,この復興住宅に入居して12年。震災時に友人が亡くなっていた。4人の子どもたちはもう独立したが,子育てで苦労したこともあり,ノイローゼになりそうだったが,愚痴っても仕方ないし,最後はやっぱり自分で決めるしかない、と苦労を楽しみにするようだった。

以上
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