第524回 神戸お話伺いメモ 2011/2/26 [2011年神戸お話伺いメモ]

70代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。1階の店舗では商品の自動車部品が散乱,2階にいた自分は何とか脱出したが「何もかもなくなった,グシャグシャ」。避難所に行ったら,仕切っている人が支援物資を公平に分配せず,その人間性に不信を覚えた。国道沿いだったので,食糧や支援物資を分けてもらうなど,通る人に助けられた。風呂屋がくみ上げている井戸から水をもらった。周囲で生き埋めになった人が多かったが,心臓が当時から悪く,助けてあげることができなかった。被災当時も一人暮らしで高齢者でもなかったため優先されず,この復興住宅に入るまで11回申し込んだ。ボランティア参加者みなでお部屋に上げていただいて,2時間にわたるお話し伺い。

90代女性,一人暮らし。中央区で被災。震災の前年にご主人を亡くした。震災時まで中央区で一杯飲み屋をしていた。息子の嫁や孫が時々訪ねてきてくれ,この復興住宅の申し込みも嫁がしてくれた。食事は1日1~2回来てくれるヘルパーさんにしてもらっている。月に1回往診を受けている。寒いからと,玄関の中に入れていただいてのお話し伺いに。

80代女性,弟と2人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校に避難したが,情報が入ってこないので高校の避難所へ。ポートアイランドの仮設住宅ではネズミがたいへんだった。この復興住宅へは同じ仮設住宅で過ごした人も一緒だったが,一人一人減っているので寂しい。

70代,一人暮らし。中央区で全壊。地震の時は仕事に行っていた。近くの中学に避難した後仮設住宅で4年4ヶ月過ごし,この復興住宅へ。転倒して鎖骨を折っている。

50代女性,夫と2人暮らし。灘区で被災。一旦尼崎に家を借りたが,灘区内の仮設住宅で長く過ごした後この復興住宅へ。震災時軽いケガで済んだと思ったが脊髄圧迫と解り,松葉杖1本が必要に。仮設住宅で知り合った今の夫と知り合ってからは,うまくいっている。つえをつかれてとてもさばさばとした笑い声をあげ、明るい人でした。

60代女性,夫と2人暮らし。長田区で全壊。灘区の実家は水道関係の仕事をしていて,商売道具が,すぐ後ろにまで迫っていた火を防いだり,近くの川から生活用水を確保するなどで役立った。灘区で家を借りたが,近隣の酒造工場の熱気で暑く間もなく引っ越し,この復興住宅へは早くに入居。夫は糖尿病で入退院を繰り返し,訪問時は人工透析から帰ってきて寝ていた。

男性。風邪とのことで,安否確認程度の短時間のお話し伺いに。

70代夫婦2人暮らし。中央区で被災。尼崎に避難した後この復興住宅へ。仮設住宅にはあたらなかった。2人の年金で暮らす。風呂の据え付けの仕事をしていたご主人は,震災後忙しさのあまり脳梗塞を患う。毎日笑顔でいたいという奥さんはカラオケ好きで,本やテレビで覚えた運動をしたりしている。
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