第576回 神戸お話伺いメモ 2013/5/11 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・80代夫妻、中央区4丁目で被災。借家は半壊。短期間、近くの小学校に避難。今でも大工の現役。この日も芦屋で仕事があり、帰宅直後の訪問だった。今でも阪急の高架下に倉庫も持ってられる。お部屋にあげてもらい、長時間のお話し伺い。部屋はきれいに整理され、大工さんらしく木工の置物などもあった。始めは職人らしく、お話はとつとつだったが、お仕事、これまでの経験、人生哲学など深いお話をしてもらった。仕事仲間の保証人になり、これまで借金の肩代わりなど苦労したが、その人を恨んだことはない。励まして、仕事を続けるように言った。借金以外でも仕事上の売掛金があったが、それは個人的にあげると言うと、相手は泣いていた。今でもお土産を持って訪ねてくることなど詳しくお話された。この時はご自分も涙を流されていた。とにかくまじめ。人生に前向きで、職人気質があり、仕事に誇りをもたれていた。奥さんもやさしく、ご主人を支え、この奥さんがいてご主人も仕事に打ち込めたのだろうと感じました。今でも奥さんも仕事の手伝いに行かれ、仲のよい、すばらしいご夫婦でした。「2、3年後に又、伺います」と言うと、奥さんが「そう言わずに又来てください」と。

・80代女性。訪問時は留守で、外にいる時支援シートを持ってこられた。支援シートには「高齢のため色々と悪いです。色々助けていただきありがとうございます。27日は留守をしますが、すみません。市営借り上げ住宅です」と書いてあった。ドアにはさむのを忘れて、わざわざ持ってこられた。50分のお話。中央区で被災全壊。文化住宅で家具の下敷きに。2階から逃げた。ご主人は震災のずっと前に脳出血で亡くなり、6年間寝たっきりだった。自分も大手の会社でずっと働いてこられた。お子さんは娘3人、息子3人。仮設は台風がひどかった。肺がん、C型肝炎、白内障。病気だらけだが「開き直っている」と言って笑われていた。耳が悪く、補聴器をつけられていた。365日、一日も欠かさず住宅の前の広場で体操をされている。腰をくねくね回しながら、ステップを踏み「元気ですよ」と笑っておられた。靴は赤いスニーカー。とにかく元気な、陽気な方でした。初めは悩んだが、考えを改め、陽気になって体も楽になった、とお話された。大手の会社にいたので厚生年金があり生活も余裕があり、テレビ、新聞、そして野球の観戦にも行く、と明るく元気な笑顔でお答えくださいました。

・70代男性。インタホン越しに10分ほどのお話伺い。中央区で被災全壊。当時から一人暮らし。ポートアイランドの仮設に3年、ここに来て14年ぐらい。借り上げ住宅。ここは自治会もなく、近所付き合いもない。老人が多い。隣の人が昨年8月に孤独死した。こういうこともあり、寂しい思いをしている。亡くなって半月ほどほっとかれた。その人はビルマ(戦線)にも行った、91歳だった。この階は老人が多く、孤独死しないようにボランティアの方に時々、寄って欲しい。インタホン越しでしたが、話しているうちに声に張りが出できました。

・80代女性。メモをしていたので、「俳句でもしていると思った」と興味を持って、近づいてこられた。ご主人は90代。立ち話で30分ほどお話を聞く。震災の時は香港におられ、震災直後は息子さん2人も香港に集合されたそうです。言葉もしゃきしゃきしていて、ご主人のことを「いつまでも食べて、困っている。」と笑いながら話されていた。ヘルパーさんが週に一回来るが、家事もすべて自分でされている。戦中は学徒動員でカネボウで落下傘(頒布)を縫っていた。ご主人は見習い少尉で内地勤務だった。実家は明石の造り酒屋。震災時は実家も含めて3軒ほど、地震後解体が大変だった。今は悠々自適の生活。話は尽きなかったが丁重に挨拶して分かれた。

・ 参加者の感想。
 今日の訪問の成果は、満足。3軒の方と長らく話し込むことができました。運もよく、むこうから私達をさがしてくれた。家に上がって、お茶も出してくれ、涙を出して話してくれた。久しぶりに神戸に帰り、東北の活動に参考になりました。公団借り上げの問題は、今後東北にも同じことがおこります。継続は力なりと言いますが、一番大切なことで、今日の経験を生かしあと3年、東北で活動する上で良き参考になりました。

以上
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