2013年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第590回 神戸お話伺いメモ 2013/12/14 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした。

・70代女性。長田区で被災。全壊。70代だが、顔色が悪く、元気がなさそうに見受けられる。高血圧で、一人暮らし。西神南の仮設に3年過ごすが、冬は寒かった。世に言うボスがいて、配給品の分配などでいけずをされ、大変住みにくかったので、文化住宅に2年住んで、夫が病気になり長田区の病院に9年通ったが、1年前に死亡した。奥さんは血圧が高く、通院されている。

・70代女性。ご主人は70半ば。中央区で被災。全壊。震災の時、物の下になってあばら骨にひびが入ったが、ボランティアの人にテーピングをしてもらい、治療が効いて治った。自転車でこけて股関節を折って、今はご主人が家事をされているそうです。怪我をするまではアルバイトをされていました。おとなしい、明るくて、元気そうな方でした。

・70代女性。中央区で被災。店舗兼住居は、阪急の高架下で被害はほとんどなし。ここに入居して14年、住宅ができたはじめから入居。店(居酒屋)は35年やっていたが、お客は公務員や新聞記者など固い人ばかりで、20年、30年のおなじみさんばかりだった。ご主人が脱サラして、店を始める。「サラリーマンの嫁になったのに居酒屋の奥さんになった」と笑いながら話されていた。この店を昨年の1月の事故で閉めた。店長の不注意でガスボンベが爆発し、店長は1月から7月まで入院。この間、股関節が悪くて手術し、今もリハビリに行っている。実はこの時、骨がぼろぼろで、この事故がなかったら手術もしておらず、事故が幸いした。10年前にご主人が亡くなり、迷ったが店長(お兄ちゃんと呼び、息子同然らしい)と一緒に店を切り盛りしてきた。息子は40歳で、京都の料亭で働いている。居酒屋をされていて、気風のいいお母さん、といった感じで、快くお話を聞かせてもらった。

・80歳男性。須磨区で被災。公団で家は大丈夫でした。一人暮らし。コタツでお話を聞く。阪神の西灘のタクシー会社に勤務し、その時夜勤明けで、駅の改札を出たところで被災。バイクで家まで帰る。間一髪で助かったそうです。私たちは「それは大幸運ではありませんか」声をそろえて言いました。お子さんは娘2人、息子1人いたが、それぞれ独立されていたので、神戸市内に住んでいられたが、被害はなかったそうです。震災から4年して、奥さんが腎不全(じんふぜん)にかかり、透析するのに血管が細いため大変だったとの事です。その後、透析で2年ほど治療されましたが、亡くなりました。一人で留守をしていた事が病気を引き起こされたのではと問いましたが、時間がたっていたので神戸市には言わなかったそうです。10年前、奥さんが亡くなり、孫8人、何も言うことはない。時々、話し相手が欲しいと言われました。6歳の時、母親が亡くなり、父は1年後に後妻をもらったが、義母とうまくいかず、祖父母に育てられたそうです。話はあちこちに飛んで、話できるのが楽しいと80歳に見えず。朝、ウォーキングをされている。生活援助員が3週間に1回、見回りに来てくれている。

・50代男性。灘区で被災。全壊。小学校で避難生活。ここには最初から入っています。入居15年。初めから一人暮らし。糖尿病を患っている。せっかくドアを開けていただいたが、話が続かず、早々に失礼しました。少し障害がおありかと思いました。

以上

第589回 神戸お話伺いメモ 2013/11/23 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者5名でした。

・80代女性。中央区で被災。全壊。少し前かがみになって、2,3日前に退院したそうで、立っていらっしゃるのが痛々しい感じだった。病名は圧迫骨折。息子さんと二人暮らし。お孫さんと息子嫁は別に住んでいる。息子さんが心配して、一緒に住んでくれていると言ってられた。食事の事も少しずつ出来ています。お年には見えず、若々しかった。

・50代男性。灘区で被災。全壊。入居10年。子供は息子と娘、4人家族で皆お体は元気との事。ポーアイの仮設は若いというだけで最後住宅が当たらず、一軒だけ取り残されて不気味でした。

・70代男性。ヘルパーさんが出てきて、毎日1時間づつ来られるとか。初めから一人暮らしとの事。

・40代男性。父・母と暮らす。灘区で被災。全壊。お子さんはおらず、ご両親と4人暮らし。今は体が悪く、C型肝炎だとの事。これは小さい頃、病院で移されたかもと言ってられた。あちこちが悪いそうで、そう言えばお顔が黄ばんで見えました。「40代の男性のメッセージはつらいと思った」

・60代女性。中央区で被災。半壊。一人住まい。7階建ての4階に住んでいたが、倒れなかったので、学校の関係(校区)で半壊の家を少し直してくれたので、そこにいました。ご主人は子供が1人前になった時に離婚。一番上の男の子は養子に、中の娘がとても大事にしてくれます。下の娘さんは障害があって、入退院を繰り返し、高校だけは出られて会社に5年いたのですが、上司からいつもいじめられてとうとう辞めてしまいました。その間も入退院を繰り返し、やっと今の場所で事務をしながら、相変わらず入退院を繰り返していますが、無事に一人で生きています。今は私一人で、孫と会ったりして頑張るつもりでいます、とおっしゃっていた。今、3軒の病院に行っていますが、ひざも腰も悪いが、それでも食事は自分でされている。とても若く見えました。お疲れ様です、と言われて、疲れが飛びました。2人のお孫さんは少し耳が悪く、心配です。

・70代男性。「今、リハビリが終わったのでちょっと出てくるからすまんね。お疲れさん」とのこと。

・70代女性。開けてくださったが、お客が来られているので失礼します、とのこと。

・60代男性。中央区で被災。半壊。自宅が半壊だったが、家主さんが直してくれたので、そのまま住んでいた。ここに当たるまで収入は少ないのに家賃も大変であったが、商売がインテリアの仕事。この仕事のストレスで目が悪くなり、今も目が不自由だとか。すい臓、大腸に不具合が見つかっていますと淡々とお話された。きれいなダチョウの卵の飾りを見せて頂きました。奥さんと2人暮らしで、奥様は元気ですとお話しして下さいました。「働くことがうれしい」という感じの人でした。

・40代男性。中央区で被災。全壊。近くの小学校に7ヶ月避難。その後、ポーアイの仮設に5、6年、最後までいた。夜間は暴走族でやかましく、寝れずに困った。職業は理容師だが、関節リュウマチを患い、今は出来ない。手が曲がっている。糖尿病も発病する。月に1回受診。

・80代女性。おしゃれをして、お出掛け時に少し会話をする。家でじっとしていて人の世話を待つのはいやだから働いたり、外に出ることなどを心掛けている、と言われた。すこしマヒ。その後、転倒し、現在左足首、ひざ、ひじに痛みがあると言われた。

・70代男性。中央区で被災。全壊。一人暮らし。小学校に1週間避難していたが、我先に配給を受けたり、目に余るマナーがあちこちで見受けられ、嫌になった。”きずな”なんて言えたものではない、と憤慨しきりでした。2、3日はよかったが、長くなるにしたがってイケズの人が多くなってきた。ごね得の人が多くいた。仮設から今の住宅に入居した。以前は、送迎バスの運転手をしていた。子供2人、孫がいる。自治会の仕事をしている。東日本の人は原発で困っていると思います、と言われた。

・初めての方の感想。「満足」。「短い時間に話を聞くことで、なかなか双方が満足することは難しいと思われるが、ボランティアを続けることに意義があると感じた」。「16年も続いている活動に感動しました」

以上

第588回 神戸お話伺いメモ 2013/11/9 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした。

・80代女性。東灘区で被災。住居の損傷はなし。一人暮らし。入居2年。前のところに40年住んでいた。中央区で医者を開業。最初からドアが開いていて、中に入れて頂き、コーヒーやお茶まで出していただいた。子育ての時は順調でしたが、真っ正直一点張りのご主人が賭け事に熱が入り、大変な額の負債を負い、離婚されたそうです。離婚されたご主人は今、老人ホームに入っておられる。私たちが始めて聞く様な話でした。人の一生、色んなことがあると思い、吐露されるに任せて、聞き入っていました。体は丈夫で、小さいボランティアをされている。神戸市の見回り隊が年に2回来る。生きがいは友達が多いことで、家にはあまりいない。息子が大手の会社に行っていることが何よりの慰めですよ、とお話されていた。帰り際に「お疲れ様」と言っていただき、感無量でした。背筋がピーンとしていて、お話が好きな方でした。訪問者の感想「とても気丈な人でした」「精神的余裕のある人だなあと思いました」。

・支援シートに「都合により今後ボランティアの訪問おことわりします」と書かれていた。

・男性。インターホン越しに「思い出すのが嫌だから」と安否確認のみ。

・80代女性。灘区で被災、全壊。子供はいない。入居13年。文化住宅の2階に住んでいた。一階は崩れていたが、30歳ぐらいの男性が無傷で出てこられ、びっくりした。初めの避難場所はイケズの人が多くて、嫌がらせを色々と受ける。近くの憩いの家で3ヶ月程避難、4回目に当たってポーアイの仮設に4年いた。足の筋が悪くて、今は整形外科に通っている。主人は肝臓が悪く、今病院に入院中です。人間の心は、大変な時でも、落ち着いた時でも意地の悪い人は我先に他人を押しのける場面を何度も見た、などとおっしゃり、経験を話された。よくお話が聞けました。

・70代女性。中央区で被災。全壊。入居14年。北区の仮設にいた。ここの会計さんをしてられて、途中にお訪ねして悪かったと思いましたが、快く話してくださいました。もう少し家賃が安ければいいのにと真剣に言われた。元気そのものですが、3回ほど血圧で病院に行かれたそうです。

・男性、声をかけましたが、耳が遠いのかお出になりませんでした。お弁当を届けにきた男性にドアを開いていただきましたが、本人は横になっていられました。

・80代男性。中央区で被災。全壊。奥さんと二人暮し。入居14年。近くの高校に避難し、その後仮設に4年。気さくなご主人で南国育ちと思われました。奥様はヘルパーさんに車椅子を押されて、散歩中だとのことでした。お聞きすると、しりと右足が悪く、近く手術とのことでした。若々しくしてられるのも、奥様の看病をよろこんでしてられる様子がよく見えました。県人会には3つほど入ってられるとか。「お疲れさん」とねぎらって頂きました。元気印のような人でした。

・80代女性。中央区で被災。全壊。姉と一緒にポーアイの仮設からここに入居し、14年。3年前に姉が亡くなり、淋しい。糖尿があるから足が悪く、運動が出来ず大変。しかし、一人になって割合気を使わないのでいいです、とのこと。きれいに住んでられると思いました。健康そうにお見受けした。

・70代男性。灘区で被災。全壊。近くの避難所に避難し、その後ポーアイの仮設。奥さんと二人暮し。元気そうですねと尋ねると、「何の何の」と言われて病気の名前を色々と言われた。私たちが知っているのは、心臓、脳梗塞、肝臓ぐらいでした。病名のレッスンでしばし話し込みました。

以上

第587回 神戸お話伺いメモ 2013/10/26 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした。

・50代男性。他県で被災。テレビが落ちた程度。入居2年。インターホンで出てこられ、すぐに奥へ引き込まれたが、階段を上がって追ってこられ、部屋に上がってくれとあげてもらった。足が悪く、現在は生活保護受給。自転車が玄関においてあり、自転車でよく出かけられるそうです。タバコを1日30本吸う。酒は飲まない。震災の時は、神戸で解体の仕事をよくしていたとのこと。今はヘルパーに来てもらい、食事は宅配の弁当をとっている。不眠症の薬を飲んでいる。高速道路が近くを通っており、騒音がうるさくて眠れない。目をしょぼしょぼされていたような気がします。大変寂しいと言っておられた。見た目には元気そうでした。若いのにもっと積極的に人生と向き合って欲しいと思った。

・70代60代。シートがドアに差してあった。「入居平成20年11月。西区で被災。半壊の上。電気はしばらくして回復したが、ガス、水道がなかなか回復せず、川に水を汲みに行ったし、食品がなかなか手に入らなかった。又、外壁損傷で二重ローンになり、生活にも影響した。もし、又災害があったなら被害の大小にかかわらず、平等におこなって欲しいと思います。今日は、孫たちが来ており、出かけておりますので、申し訳ございません。シートをポストに差さしていただきました。(ケアの必要なし)」

・60代男性。兵庫区で被災。全壊。入居2年。地震の時、民間のマンションを借りて15年住む。25年前、40代の時に高血圧による脳梗塞で倒れる。玄関先の椅子に座ってお話された。右半身がご不自由。言葉ははっきりとお話されていた。ヘルパーに週二回来てもらい、近くのスーパーで買い物をし、簡単なものは自分で料理されるとのこと。一人暮らしで寂しく感じられた。椅子に座られた姿が不安を訴えて居られていた。

・60代女性。腰が痛くて、立っていられないので、週3回通院しています。

・男性。寝てられ、耳が遠いので出てきてもらえませんでした。

・男性。元気そうな声で、よろしいとのことでした。

・80代女性。「私はお蔭様で元気に暮らして居ります。今日都合で大阪に行きますので悪しからず」との支援シートの書込み。

以上

第586回 神戸お話伺いメモ 2013/10/12 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした。

・70代女性。60分の訪問。長田区で被災。全壊。一人住まい。入居15年。約束していたので伺ったら、中へ通され話を伺う。2階建ての1階にいたので生き埋めになり、何が起こったのか分からず、暗い中で右足が痛いなかで救助を待っていたが、「無理無理」という言葉しか聞こえず、くじけそうになるところに大手町の娘夫婦が来て、婿が一本ずつ瓦礫を除けて、体勢を変えてやっと身動きが取れ、這って地上へ出て助かったそうです。そして急性肺炎になる。周りは一面焼失していたが、一軒だけ残った新建材で建てられOさん宅に避難させていただいた。その後、娘さん宅に移る時にOさんにはミンクのコートまで貰って感謝している。その後、公園の仮設に入居する。その時はボランティアの学生が良く訪ねてきたそうです。その時の写真とハガキを見せてもらう。ご主人はこの住宅で、11年前に亡くなった。ご主人が入院した時の親切にしてもらった主治医の話を聞く。良い人とめぐり合い感謝しているとおっしゃった。今、しみじみと「生きていて良かった」と言われた。整形科に10年通っているが、近所のスポーツクラブ、に通って、大分歩けるようになった。

・60代女性。ご主人は80歳。20歳違いだが、今でもラブラブだそうです。40分の訪問。前の結婚では4人の子供が次々と流産、死産し、離婚。その後、大阪から神戸に単身で来て、ホテルで働き始めるが、そこでいじめにあったが、ご自身で解決された気丈な方。大阪ではカッターシャツの会社で働いていた。脊髄きょうさく症で今は痛くて松葉杖をついて出てこられた。精髄の病気になり、寝たっきりになったが、同僚に目をかけらる。震災後、歩けなくなり、介護にご主人が来られたことがきっかけで、再婚。その後、ご主人の足が不自由になり、この住宅に入居された。松葉杖をついて来られた時は、「アラー」とお互いに顔を見合わせて思い出し、それもそのはず、3年前に訪問済みの方で、新聞の取材を受けたので良く覚えていた。3年前は松葉杖は使われていなかった。いろんな経験からかとても気丈で明るい方だった。

・60才代女性。長田区で被災。全壊。20分間の訪問。新在家に一ヶ月避難。福島県のいわき市に15歳までいた。NHKの『あまちゃん』を見ている。ランニングウェアにパンツ姿でとてもはつらつと見えたが、実は最近、糖尿病を患われていると聞き、驚いた。ご主人も入退院を繰り返し、糖尿病から目、腎臓、心臓を患われ、15年間透析を受け、心臓にペースメーカーをつけられている。看護をするために気力だけで健康体を演じられているらしい。市営住宅に当選するまで10年かかったが、シルバーということで優先的に入居できた。今年、脱水で救急車で入院した。C型肝炎になるが、今は気力で持っている。姉が福島にいるが、一時原発事故で避難していた。はつらつとした気丈さを感じました。

・78才代男性。長田区で被災。全壊。10分の訪問。姫路に避難し、その後西市区の仮設に行った。今は一週間に1回リハビリに行く。16年前に離婚。娘と孫が週に一度くる。近所の人とはあいさつ程度。病院の会計をしていた。その前、30年間ほど商店を営んでいた。

・70才代男性。中央区で被災。全壊。25分の訪問。入居15年。今はここの住宅の会計をしている。仮設はポーアイ。最後までいたので4年。今年の初めまでここの住宅で喫茶やカラオケのお世話をなさっていたとか。元気そうでしたのでお聞きしたら、どこも悪いとこはないとのことでした。公害病でゼンソクを患っているほかはどこも病はないそうです。一人暮らし。娘と息子がいるが、あまりきてくれない。ここの世話をやめても人が頼ってくれる。熱帯魚とメダカをたくさん飼ってられて、「心安らぎますよ」「今、50肩だよ」とお若い。なにしろとても若い感じでした。

・70代女性。中央区で被災。全壊。40分の訪問。今は娘さんと二人暮し。震災後、親戚が三木市にいたので娘3人と私がお世話になりました。すぐに借り上げの復興住宅に当たりましたが、今は娘1人と住んでいるので市営に申し込み、すぐにここが当たって、今年の二月からここに住んでいます。ここは借り上げ住宅より狭いが、やっぱり医者の関係でここがいいです。リュウマチや緑内障を患っていらっしゃる人には見えないほど朗らかにお話しして下さった。主人が女をつくり、お金も入れてくれず、お姑さんができた人で、お金を入れてくださったが、一番下の息子が大学を卒業した時に断りました。ご主人は震災の前に亡くなり、私はありとあらゆる仕事をしましたよ、と10キロ痩せて、久しぶりの人は驚かれますとお話された。娘さんがいるため、バスの無料券はもらっていないが、今娘の収入が途絶えたので来年はもらえるかなと。8月頃、おまわりさんが来て、「何度来ても会えないので心配しましたよ」と言われたことなど、はやっている事件の事も話してくださいました。

以上

第585回 神戸お話伺いメモ 2013/9/28 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者6名でした。

・70才代女性。中央区で被災。半壊。入居9年。40分の訪問。神戸生まれだが、結婚して主人が炭鉱夫だったので軍艦島で生活していた。娘が一人、孫娘が一人いるが、なかなか遊びに来てくれない。手と足が痛いとこがあるが一人で頑張っている。足に金属が入っているので障害扱いを受けられ、老人ホームに行きたいと思っているが、出来れば近所の困った人のお手伝いをしたいとも言われた。震災のときは洋服ダンスが倒れ、ほほと耳のあたりを怪我したがと言われたが、ちょっと色が変わっていた。近所のボケた人を助けているが、手伝いに来た娘さんにお礼どころか「ボケた方が勝ちよ」と言われ、あぜんとしたことも・・・・。「軍艦島の話は始めてだ」と長崎出身者のメンバーの感想。

・70代男性「寄らないで下さい。耳も聞こえない、歩けないから」と書いてあり、昼寝中だった。

・70才女性。中央区被災。半壊。入居5年。30分の訪問。避難所には行かず、半壊だった垂水の姉の家に8年いました。身障者で入居しているが、前は少し仕事もしていた。辞めた後は、何か役に立つことがあればと勉強もしましたが、何もものにしてないのが悔しい。今では、自分ひとりで慎ましく生きていれば何とかなると、暑さ寒さに耐えていけたらいいと思います。一人で生きているので足が弱らないように歩いていると、頑張っている。一人である事を一つの力にされていると思った。

・80代女性。中央区で被災。半壊。入居3年。30分の訪問。入り口に棒を立てて、ドアを開けて下さいました。ここにくるまであちこちにいました。仮設には入っていません。5年ほど前にご主人を亡くされた。14人兄妹で今は5人残っている。8月21日にやっと退院されたとの事。左足をすごく切って、吉田病院、赤十字病院と3ヶ月づつ入院されていた。どうしてお怪我されたのですかと尋ねたところ、毛布に引っかかり、部屋の中でこけてしまい大怪我しましたよと言われた。72歳まで土方をされていて、主人が働かず娘1人、息子2人を育てるために必死で働きましたよ、ととても豪快な方でした。ペットボトルを2本頂き、見たところ”ドンと来い”と思うほど元気な方でした。

・70代男性。灘区で被災。半壊。出てきてくださいました。

・小学生くらいの女の子の声で「いいです」。

・70代男性。「朝から待っていたのにもう何も話さない」と言われた。

・80代女性。灘区で被災。全壊。10分の訪問。堺市の友達宅で弟と2ヶ月ほどやっかいになる。地震前から脳内出血で倒れる。血圧が高く、地震の時は薬が手に入らずに大変困った。ポーアイの仮設に3年くらいいたが、知り合いがいなくて困った。自分でライフに買い物に行く。

・80代男性。灘区で被災。全壊。30分の訪問。健康体。地震の時は姉の所に行く。怪我はなかった。押部谷の仮設に2年いたが、神戸市から遠く、大変困った。須磨区で生まれ、兵庫区の小学校で学ぶ。奥さんが今年の三月に亡くなり、今は一人住まい。60歳まで三宮で飲食店、寿司、割烹の店をしていたが、地震で店を閉める。父親が呉の軍港で働いていたので、昭和20年3月から8月まで呉にいた。その時、原爆に20キロ近くで遭遇する。そのお話が大変リアルでした。同級生の大半が亡くなった。昭和22年に帰神する。その当時はフリーマーケットの時代で、物品は統制の時代だった。15歳から寿司職人として見習いで入り、以来ずっと三宮で寿司屋などを経営。

・70代男性、インタフォン越しに「何もないばい」(九州のなまり)。

・ドアに紙がたまっていた。何も書いていない支援シートを持ってきたのみ。

・80代女性。灘区で被災。全壊。中学の避難所に5ヶ月、共同住宅に5ヶ月いる。ここに入居して15年。なかなか住宅にあたらなくて困った。長田区に長女、西区に息子、灘区に次女がいる。病院で乳がんの手術、日赤で心臓に人工弁を入れる。障害者手帳を持っている。きちんと座り1時間の訪問。

・70代女性。兵庫区で被災。20分の訪問。垂水区の仮設に1年ぐらい住んで、この住宅には2年前に入居。一人住まいだが、ケアマネが月に1回訪ねてくれるので助かる、と言っていました。

以上

第584回 神戸お話伺いメモ 2013/9/14 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者7名でした。

・80歳女性。東灘区で被災、全壊。この間まで勤めていたが、娘さんの助言で退職されたとか。一人暮らし。息子さんと娘さんがいて、3人のお孫さんは社会人。元気印そのものの人でした。年齢に見えず、元気でした。あやかりたいと思いました。初めお留守でしたが、廊下でお会いし、廊下でお話できました。

・40代男性。中央区被災。入居10年。小学校に7ヶ月避難し、東の仮設に2年程いて、神戸市中央区の公園近くのマンションに半年いた。今は要支援の父親と二人で住んでいる。明るい男性でした。

・70代の男性。灘区で被災。奥さんを震災の時、亡くされた。50代だった。死に目にも会えなかった。前回訪問の時、娘さんの子供が生まれて、非常に喜んで話題になっていたが、下の子供が生まれて6歳になるとの事。もうそんなになるのかとお互いに喜ぶ。体が利かなくなる前に須磨の娘のとこに行こうと思っているとのこと。借り上げ住宅の期限まであと4年あるので、その間に考えるつもりだとおっしゃっていた。女房もあと少し生きていれば、孫の顔も見れたのにと思いは妻のもとへ。やさしいおじいさんでした。

・60代男性。「自分がこの辺の75歳以上の人たちのボランティアで安否確認をしている」としっかり答えてくださいました。

・50代男性。「よろしいです」と安否のみ。
・80代男性。インターホンで「元気ですよ」と中から声をかけてくださった。
・70代男性。買い物から帰ってきたばかりで、「元気ですので」と言って家に入られた。
・40代男性。長田区。入居して10年。アトピーで顔や体中がかゆそうにされていた。

・60代男性。インターホン越しに「休んできますから。元気ですよ」といわれた。
・60代男性。インターホン越しに「今、忙しいので」と安否のみ。
・70代女性。インターホン越しに「今、立て込んでいるので」と安否のみ。
・50代男性。インターホン越しに「僕のとこは別に元気ですのでいいです」
・40代女性。インターホン越しに「元気にしています」
・70代女性。「よろしいです」と安否のみ。
・60代男性。「もうええよ」といわれました。

以上

第583回 神戸お話伺いメモ 2013/8/24 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者3名でした。

・60歳男性。一人暮らし。待っておられたようで家に上げてもらう。長田区で被災。震災後、中学校で2ヶ月ほど避難し、その後須磨区の仮設で2年、今の住宅に入居して14年。震災前の年に飲食関係の店をオープンしたが、オープン2ヶ月で被災し、その後色々とトラブルがあって今は弁護士を立てている。沖縄県のご出身で、奥様とは神戸で店を出している時に出会い再婚。その後、色々とお店を出された。奥さんを5年前に亡くされた。先妻との間に子供が3人いるが、今は一人暮らし。職探しに困っている。調理補助のような仕事で1日3、4時間の仕事を探している。60歳から年金をもらっているが、足りなくて生活保護も受けている。居酒屋をしていたので、一人暮らしには不自由はない。ボランティアがあれば出たいとの希望も述べていた。若々しく見えました。

・67歳男性。 長田区で被災。全壊。両手に荷物を持って帰ってこられたところを2度目に訪ねると出てくださった。2階建ての1階に寝ていて、奥様が家具の下敷きになって亡くなられた。その後、一週間車で生活し、小学校に8ヶ月避難し、垂水の仮設に3,4年、平成14年にここに移ったとのことでした。仕事もおありで、ここから娘さん2人をお嫁に出された。鷹取から六間道まで一帯が燃えたのが思い出される、と話された。さわやかな初老の感じの方だった。

・80代女性。家に入れていただきお話伺い。長田区で被災。今は足の調子が悪いが、貼り子(ケミカルシューズの糊付け)の仕事を50年されていた。御主人が入退院を繰り返されていたので、1円でも収入が欲しかったのでゴム(くつ)の会社に入る決心をされたそうです。ご主人は透析を繰り返し、震災の翌年の平成8年に亡くなられた。それまで、看病の為に学校に1ヶ月間娘さんと食事の作り方などを教わりに行かれたそうです。男女一人づつお子さんがあり、長い間の働きづめで顔面の神経が痛んだり、足にブロックが20本入っている、そうです。でも見かけたところ重病には見えない、よい表情でした。本当に自立しているという人柄で、80歳には見えない顔つきでとうとうと波乱万丈の人生を話されました。とても明るく前向きで、「人生の最後にこんな素敵なところ(朝起きると日の出を見る)に来れて感謝」とおっしゃり、持病があり歩くのがご不自由だが、それでも「毎日がルンルンなの」と笑顔で話されていた。

・30代女性。灘区で被災しここに移り住む。警戒心が強く、あまり自分のことを話したがらなかった。
・60代女性。インターホン越に「大丈夫です」と安否確認のみ。
・女性。出かけるところで、「ごめんなさい。元気にしています」と言われた。
・80代女性。ドアまで出てこられたが、「元気ですよ」と言われて、奥に引き返された。
・70代女性。「今、忙しいのでごめんなさい。ご苦労様です」と言ってくださった。車椅子があった。

・参加者の感想
今回は60代の男性、80代の女性と一人暮らしのお家に入れてもらい、それぞれ約一時間お話をした。それぞれが、ぽつぽつ、立て板に水、のお話を聞いていると、やはりこのボランティアは必要だなあ、と思った。

以上

第582回 神戸お話伺いメモ 2013/8/10 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした。

・70代女性。一人暮らし。生涯独身。中央区で被災。全壊。以前、美容師をしておられた。西区の仮設に4年いた。仮設は不便で困ったと言われていた。一応、85歳以上と障害者はこのままいられるが、自分はまだ10年余りあるが、他に空きがあれば今の家賃ぐらいでよければ、出なくてはならない時は考えます、とさばさばと言われていた。人それぞれで、一軒家から引っ越した方は大変だろうな、と言ってられた。他人とのコミュニケーションがうまく出来ないので友達はあまり出来ない。理由は寄ると触ると孫や嫁の話で、共通点がないし、つまらないので音楽の好きな友達と無料の音楽会に行っている。自分は雑草みたいな生き方の人生なので、趣味に生きています。音楽が大好きで、一人で生きていきます。本当にしっかり生きておられた。独身の人の気楽さと久しぶりに話す楽しさとで、終始笑顔で話し続けておられました。

・70代女性。ドアが開いていたので声をかけると、「元気です」と返事があった。お花がたくさんあった。「お疲れ様です」言って頂いた。

・男性60代、女性50代のご夫婦。ご主人とエレベーターの前で会ったが、そのご奥さんが帰ってこられ、「主人から話を聞いて下さったのですね」と言われ、借り上げ住宅の件は、「どうなるかわからないけど何とかする」という返事だった。頼もしいご夫妻と見えた。

・ドアが開いていた所からテレビが見え、テレビは映っていたが、声をかけても返事がなかった。聴力に問題があったのかな、と良い方にとって、帰った。

・留守シートあり。「別にお話しするような事はございません。過去は振り返らないように(忘れはしません)、人生前向きで歩いています」と大きな字で書いてあった。

・40代女性。インターホン越しで安否のみ。
・30代男性。越してきたばかり。安否のみ。
・70代女性。横になったばかりなのでと言ってドアを開けた。
・40代女性。インターホン越しで安否のみ。

以上

第580回 神戸お話伺いメモ 2013/7/13 [2013年神戸お話伺いメモ]

前回の訪問は参加者4名でした。

・60代男性。「もういい」とインターホン越しに言われた。安否のみ

・60代女性、静岡から引っ越してきました。私は8年前、娘と孫は6年前、今は3人暮らしです。皆さんとの交流はしっかりあります、「おつかれさま」と丁寧に言っていただきました。

・60代男性。玄関まで出てこられたが、「元気です」と奥に引き込まれました。

・80代女性。中央区で被災。半壊。入居12年。一人住まい。1時間のお話伺い。島の名家といわれた家柄の生まれ。戦争で家や畑、土地を軍に没収され、ここへ来ることになった。壁に弟さんの写真が張ってあったのでお聞きすると、弟さんは不幸で、大変な苦労をされた様子を聞かせてもらった。部屋にあげてもらい、ノンアルコールビールを振舞っていただいた。身寄りもなく、近所づきあいもない。部屋にはいたるとこに花が飾られていた。80歳になっても学ぶ姿勢を持ち続けられ、今も英語の勉強をされているとのこと。凛とした知性をにじませる端正なお顔立ちで、人生の辛苦を超えて、心の輝きにしていったであろうことが、優に想像できる。行政に頼るのはプライドが許さないととても自立した生き方を垣間見た思いでした。ノンアルコールのビールは誰かが家に来たら振舞おうといつも用意されているとのこと。これからもかかわっていきたいと思いつつおいとまをしました。

・70代女性。留守シートあり。「中央区で被災。半壊。腰椎圧迫骨折による体幹機能の著しい障害で、じっと座っているのも苦しいのでお話をさせて頂けません。家庭内での日常生活も著しく制限される心臓機能障害でお話しするのも呼吸が苦しくて辛いです。ご協力、出来なくて申し訳ございません。」

・17歳の娘さんが現れて、お母さんは勤めで留守だといって、何もわかりません、と言っていた。親御さんが阪神ファンで玄関口に「アンチ巨人」と書いてありました。娘さんに「そうなの?」と聞くと「全然、私は興味はありません」と笑っていました。

・70代女性。東灘区で被災。半壊。15分のお話。帰ってこられた時、偶然に廊下で立ち話。アパートが半壊で、他の家に避難し、4,5年暮らす。今は一人暮らしで、10年前母親が90歳でここの病院で亡くなる。左膝が悪く、歩くのが辛いとおっしゃっていた。血圧も高く、薬も飲んでられる。人に悪口を言われ、困っている。借り上げ住宅のことでも困っている。妹さんに時々、電球を取り替えてもらっていると言われた。

以上
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