2012年神戸お話伺いメモ ブログトップ
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第547回 神戸お話伺いメモ 2012/2/25 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。壊れた家に閉じこめられ,やっとのことで這い出た。避難時は水が得られず苦労した。
5回の抽選でやっと当たった北区の仮設住宅で4年過ごした後,この復興住宅へ入居して13年目。
若い頃は豆腐屋を営んでいたので,朝早くから仕事をしていた。白内障・緑内障を患い,片眼はほとんど見えないほど。耳も遠い。高血圧のため,血圧を下げる薬を飲んでいる。立って歩くにも,何かに掴まらなければ危なっかしい状態で,リハビリのため通院を続けている。ヘルパーや孫娘に家事を手伝ってもらっている。
年金が少なく生活がたいへん。お部屋に上がらせていただいてのお話し伺いに。

・60代女性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。同区内にいた母のもとへいち早く駆けつけ,近所の人のおかげで無事であることを確認,2~3日一緒に過ごした後,大阪府の弟に委ねたことも。その後も長く介護を続けてきた母も,昨年亡くなり,今は気が抜けたような感じ。介護からの気分転換を図ろうと,習字・絵手紙・俳句などの趣味の集まりに行くようになった。
親しい友人も出来たが,年長者がほとんどで,気を遣うところも。東日本大震災の後,繰り返し流される映像を見て,気分が悪くなった。これからは夫と旅行に行きたいと,前向きに考えている様子。

・70代女性,一人暮らし。中央区で被災。この復興住宅に入居して7年。夫を30年前に亡くし,4人の子どもを女手ひとつで育て上げた。その子どもたちが時々来てくれるので寂しいことはない。今は何も言うことはない。身体に悪いところはなく,元気とのこと。

・今寝たばかりで…。ありがとう。ごめんなさい。<インターホン越しに簡単な応答>

第546回 神戸お話伺いメモ 2012/2/11 [2012年神戸お話伺いメモ]

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。「終の棲家は此処だね」。近隣の方々のお世話をしたり,1日2時間歩くようにしたりと,お元気そうな模様。
東日本大震災について訊いたところ,津波があった分,大変だったろうが,最初の地震への対応は後手に回ったのでは,と思ったとのこと。

・80代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅に4年いた後,この復興住宅へ。一昨年,病院で置き引きに遭い,「日本でこんなことがあるなんて考えられない」。以後,鍵交換に1万円かかったりと大変な思いをしたり,表札に名前を書かないなど警戒心を強めたりしている。

・60代女性,東灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごす中,東灘区の両親の介護に通い,入退院を繰り返した母の治療費のためお金を使い果たし,弟の援助を受けた。いったん別の仮設住宅に移った後,この復興住宅へ。心臓に異常を抱えながらも隔日で仕事を続けている。
部屋中をアートで一杯にして、「話しを聞いてくれてありがとう」と涙ぐまれた。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。被災時,文化住宅の2階にいて無事だったが,隣の建物が倒れかかってきて,もたれかかったため,損壊した。ポートアイランドの仮設住宅に4年間いた後,この復興住宅へ。何種類もの薬を間違わず飲むのも大変な模様。
タバコが好きで,院内で喫煙できる,ヘビースモーカーの院長がいる病院まで,自転車に乗って行く。暖かな室内に上がらせていただいてのお話し伺い。

・70代女性,70代夫と2人暮らし。兵庫区で全焼。被災時,文化住宅の2階に住んでいた。着替えなどの準備をする余裕はなく,パジャマ姿,素足のままで脱出,近くの小学校へ避難した。
垂水区の仮設住宅で3~4年過ごす。その間も長田区まで靴製造のアルバイトに通っていた。この復興住宅に入居して13年目。年金が減って困っていると,現在も午前中3時間ほど清掃の仕事に。
震災時の辛さを思い出して時折涙ぐんだが,ボランティア参加者と被災場所が近いことが判ると,うち解けて元気になっていった。

・80代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。被災後妻を亡くし,他の公営住宅を経て,この復興住宅へ入居して3年。ヘルパーに週2回来てもらっている。歩行器に手をかけながら玄関に立ってお話し伺いに応じてくださったが,しんどいとのことで,短時間で切り上げ。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で被災。震災後は商売が不振で閉店。数年間勤めた臨時の職も昨2011年で退いた。
この10年近く,さまざまな病気の進行で医療費が嵩んでいるので,市に相談したが,年金支給額とのかねあいで補助はできないと言われた。「迷惑にならぬ余生を送りたいと思います」,「孤独な人々に支援をお願いします」とのメッセージも。<自身で支援シートに記入>

第545回 神戸お話伺いメモ 2012/1/28 [2012年神戸お話伺いメモ]

・80代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。被災当初は市内の息子さん(今も時折この復興住宅へ来てくれている)のもとに避難したが,程なく県外へ。仮設住宅はポートアイランドだった。夫婦ともにお元気で,ご主人は今も車の運転をしている。「生きている以上は人のために何かしたい」と,ボランティア活動をしたことも。ご主人は今もしているという。

・60代女性,一人暮らし。東灘区で全壊。区内の公園で避難生活を送った。故郷の親戚から送ってもらった米を炊き出しに供出して配ったりした中で,大学生のボランティアが組織だって動いてくれて助けられたりした。震災後に職を失わずに済んだことから,仕事が何より大切と,最近まで長く製造業で働いてきた。男子高校生も同じ職場にいたとのことで,身体にはきつかったのか,震災以来の負担も相まって,腰や肩を痛め,たくさんの湿布を貼っている。避難生活で行政の的確な対処が行き届かず,「自助努力」を強いられた経験から,「力のない人は何年かかってもはい上がれない」と,痛切に感じた。また,「東日本大震災に比べれば,阪神淡路大震災はまだマシ」との思いも。

・男性。「都合が悪いのでお断りします」と,メモを貼り付けて外出。帰宅されたところに出会い,あいさつなど交わす。

・男性。「今日は元気がない…」とのことで,安否うかがいのみ。

・「しんどくて,もの言うのもイヤ」とのことで,安否うかがいのみ。
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